横山盛資
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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官位 | 備前守 |
主君 | 山名理興→杉原盛重 |
氏族 | 横山氏 |
子 | 盛政 |
横山 盛資(よこやま もりすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
略歴
[編集]備後杉原氏の重臣。小森館を居所とする。横山氏は天正17年(1548年)、大内・毛利氏による神辺城攻めの際、神辺城主・山名理興の被官でありながら大内氏と通じ、和平の調略を行った。弘治3年(1557年)に理興の一族であった山手銀山城主・杉原盛重が神辺城主になり、その重臣である盛資・盛政父子が勢力を拡大した。盛重の死後、杉原氏が内訌によって滅亡した後も吉川・小早川両氏の援助により、その知行は安堵された[1]。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いによる毛利氏の防長移封後は帰農し、代々、小森の庄屋として小森館に住んだ[1]。