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横川文雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日[1] - 2000年4月13日[2])は、日本のドイツ文学者翻訳家上智大学名誉教授。専門はドイツ・ロマン派、特にアイヒェンドルフ

生涯

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東京市本郷区(現文京区湯島天神生まれ[1]。1936年青山学院中等部卒業[1]、1940年東京外国語学校ドイツ語科卒業[1]、1942年上智大学文学部独文科卒業[1]。同年駐日ドイツ大使館勤務[1]、1944年 - 1945年ジャワスラバヤに勤務[1]。1946年上智大学カトリック辞典編纂室勤務[1]、1950年同図書館副館長[1]、1953年同外国語学部ドイツ語学科講師[1]、1962年同助教授[1]、1966年同教授[1]、1968年 - 1969年同学部長[1]。1979年定年退職[1]、名誉教授。

上智大学ワンダーフォーゲル部長でもあり[3]登山の本を数多く翻訳した[3]

翻訳

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ラインホルト・メスナー

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  • 『第7級 極限の登攀 技術=トレーニング=体験』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1974
  • 『大岩壁 その歴史・ルート・体験』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1978
  • 『挑戦 二人で8000メートル峰へ』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1978
  • 『エヴェレスト 極点への遠征』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1979
  • 『冒険への出発 五大陸の山々で』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1979
  • 『ナンガ・パルバート単独行』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1981、のち文庫
  • チョモランマ単独行』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1985
  • 『生きた、還った 8000m峰14座完登』(ラインホルト・メスナー、東京新聞出版局) 1987

論文

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 横川文雄教授略歴・著作目録」『上智大学ドイツ文学論集』第16巻、上智大学ドイツ文学会、1979年12月、91-96頁。 
  2. ^ 『人物物故大年表』(
  3. ^ a b 榎本久彦,増田和宣,加藤宏「横川文雄教授の還暦を祝って」『上智大学ドイツ文学論集』第16巻、上智大学ドイツ文学会、1979年12月、97-103頁。