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横江嘉純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横江 嘉純(よこえ よしずみ、1887年明治20年)5月 - 1962年昭和37年)2月14日)は、日本の彫刻家塑像を得意とし、木彫、大理石像、洋画も遺した。

略歴

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「愛の像」(青山学院大学間島記念館1階ホール)

富山県保内村に出生。祖父も父も、同村の村長だった。小学校高等科を卒業後、絵画家を志すも挫折し、彫刻家に憧れる。京都の常楽寺で書生をしながら美術学校に学んだ。学校を特待生として1906年(明治39年)3月に卒業。

その後、徴兵のため3年間入隊。兵役終了後東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学し、1914年(大正3年)に彫刻科を卒業。結婚して一男一女をもうけたが、長女が夭逝し、続いて母、長兄、妻をも亡くした(長男も1941年(昭和16年)に死去)。日本のシンセサイザー・プログラマー神谷重徳は孫にあたる[1]

数々の美術展で入選する。1929年(昭和4年)には帝展審査員に任ぜられ、死去するまでこれを務めた。1930年(昭和5年)から2年間、研究のためフランスイタリアに渡欧したこともあった。

1952年(昭和27年)には功績が評価され、日展参事となる。1962年(昭和37年)、75歳で死去。

主な作品

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受賞歴

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  • 第12回文展で塑像「山番」が入選(1918年)
  • 第8回帝展で塑像「大乗」が美術院賞(1927年)
  • 第7回帝展で塑像「望洋」が特選(1940年)
  • 大理石像「娘」で文部大臣賞(1951年)

脚注

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  1. ^ 『電子音楽インジャパン1955~1981』P 259。田中雄二、1998年、株式会社アスキー