横浜市教育文化センター
横浜市教育文化センター | |
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情報 | |
用途 | ホール、ギャラリー |
設計者 | 前川國男建築事務所 |
施工 | フジタ |
事業主体 | 横浜市教育委員会 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 |
延床面積 | 21,025 m² [1] |
状態 | 解体 |
階数 | 地上11階・地下2階 |
竣工 | 1974年 |
解体 | 2018年 |
所在地 |
〒231-0031 神奈川県横浜市中区万代町1-1 |
座標 | 北緯35度26分34.1秒 東経139度38分11.4秒 / 北緯35.442806度 東経139.636500度座標: 北緯35度26分34.1秒 東経139度38分11.4秒 / 北緯35.442806度 東経139.636500度 |
横浜市教育文化センター(よこはましきょういくぶんかセンター)は、横浜市中区万代町1-1にあった地上11階・地下2階建ての複合施設である。
概要
[編集]JR根岸線関内駅前の南側、大通り公園に面した一角に、1974年(昭和49年)に完成した。前川國男の設計により、打放しコンクリートとレンガタイルで仕上げられた、4つの建物が合わさったような外観を持つ。この場所は地下鉄関連施設を建設するために横浜市交通局が取得した土地であり[2]、建設当時は隣の大通り公園直下で市営地下鉄の建設工事が行われていた。土地の高度利用のために横浜市によって建物が建設され、2階には収容人員524人[1]の横浜市教育文化ホール、地下1階から地上3階にかけては横浜市民ギャラリーが入り、横浜市教育委員会も事務所を置いていた。特に横浜市民ギャラリーは2010年の実績で利用率99%、年間46万人の来場者があったが、1996年の耐震診断で倒壊の危険性を指摘され、東日本大震災により建物の存続断念が決定された[3]。横浜市民ギャラリーは2012年度末で一旦閉館し、2014年10月10日に、横浜市西区宮崎町の市職員会館「いせやま会館」を改修して再オープンした。
9階・10階は横浜市交通局が使用しており、1975年(昭和50年)5月には横浜市営地下鉄の「万代町運転指令所」(1988年に「万代町運輸指令所」に改称)・電力指令所が、地下2階には、地下鉄の万代町変電所も設置されていた[4]。なお運転指令所は2002年(平成14年)に新羽車両基地に移転した[5][6]。
2013年3月末をもって完全閉館し[7]、2018年に解体された[8]。跡地は関東学院大学により、キャンパスや、市民も利用可能なホールやギャラリーからなる建物が建設され、[9] 横浜・関内キャンパスとして2023年開業した[10]。
脚注
[編集]- ^ a b (仮称)やまと芸術文化ホール基本構想骨子(案) (PDF) (大和市)
- ^ 『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、475ページ
- ^ “市教育文化センター、耐震強度不足で解体へ ギャラリーは移転/横浜”. 神奈川新聞カナロコ. (2012年2月17日)
- ^ 『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、57ページ
- ^ 『横浜市営交通八十年史』 横浜市交通局、2001年3月、609ページ
- ^ 「第12編 運輸 第2節 総合指令所」『横浜市高速鉄道建設史III』 横浜市交通局、2011年3月
- ^ 教育文化センター閉館のお知らせ(横浜市教育委員会)
- ^ 「横浜市/教育文化センター跡地活用/事業予定者に関東学院大学、2022年4月開校へ」『日刊建設工業新聞』2018年3月16日。2019年6月29日閲覧。
- ^ 『横浜市都心部へのキャンパス設置計画について』(プレスリリース)関東学院大学、2018年3月15日 。2018年4月6日閲覧。
- ^ 『横浜・関内キャンパス』関東学院大学、2023年4月1日 。2024年2月4日閲覧。