横浜市立大学医学会
創立者 | 高木逸磨 |
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設立 | 1948年(昭和23年) |
起源 | 十全醫院 |
主要人物 | 齋藤知行(会長) |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 医学研究の推進 |
会員数 | 5,265人 |
ウェブサイト | http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~igakukai/index.html |
横浜市立大学医学会(よこはましりつだいがくいがくかい、英: Yokohama City University Medical Association)は、横浜市立大学医学部医学科・大学院医学研究科に在籍する教員・学生、横浜市立大学附属病院・附属市民総合医療センターに勤務する医師、及び横浜市立大学医学部医学科同窓会(倶進会)会員をもって構成される学術団体。医学研究を推進し、会員の学識を高め、あわせて会員相互の連携を図ることを目的としている。
概要
[編集]宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンと宣教師デュアン・シモンズが、横浜の近代医学の基礎を築いたといわれる。とくにシモンズは、1871年(明治4年)に横浜に設立された「十全醫院」(現:横浜市立大学附属市民総合医療センター)に勤務し、後進の指導を行った。十全醫院は最新の西洋医学を学ぶ日本人医師が集う場となり、日本の近代医学の一つの源流となった。1891年(明治24年)に十全醫院は横浜十全医院に改称し、1944年(昭和19年)に横浜十全医院を中核として横浜市立医学専門学校(後に横浜医科大学)が開校した。そして、1948年(昭和23年)に横浜医科大学(後に横浜市立大学医学部)を中心に神奈川県医師会、横浜市医師会が参加し、医学研究の推進を目的とした「横浜医学会」(英: Yokohama Medical Association)が設立された[2]。
ヘボンとシモンズ以来の伝統を受け継いだ横浜医学会は1967年(昭和42年)に神奈川県医師会と分離し、1976年(昭和51年)に横浜市立大学医学部医学科同窓会(倶進会)の会員全員加入の新組織として、横浜医学会を継承する「横浜市立大学医学会」が発足した[2]。
現在、横浜市立大学医学会は5000名以上の医師・医学生の会員を擁する。
主な事業
[編集]- 学術誌の発行
- 医学会講演会の開催
- 横浜市立大学医学会賞・医学研究奨励賞の授与
横浜医学
[編集]横浜医学は、横浜医学会の学会誌として、1948年(昭和23年)6月に創刊された学術誌。1976年(昭和51年)以降、横浜市立大学医学会の学術誌として、出版は継続されている[3]。 創刊時の英称はJournal of Yokohama Medical Associationであったが、横浜医学会から横浜市立大学医学会への移行に伴い、The Yokohama Medical Journalに変更された。その際に雑誌表装もブルーとなり、今日に至る[4]。
横浜医学は、基礎、臨床、社会医学を含めた医学及び関連領域のすべてを対象とし、創刊以来、会員による研究の成果を広く紹介することを目的とする。掲載記事は、原著論文、症例報告、総説、トピックスなどがある。言語は英語、日本語。