横田良一
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横田 良一 (1911年9月10日 - 1936年1月10日)は戦前に活躍した、日本の男性歌手である。
「天草小唄」「アリランの唄」などのヒット曲がある。本名は中道實穂[1]。
年譜
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1911年 | 9月10日 | 中道音市・キクノの長男として、亀浦村太田(現天草市二浦町亀浦太田)に生まれる[1]。 |
1913年 | 2歳 戸籍上の出生年月日[1]。 | |
1914年 | 7月 | 3歳 第一次世界大戦勃発[1]。 |
1918年 | 4月1日 | 7歳 天草郡亀浦村白石尋常小学校に入学。〈註〉良一の出生時、母のキクノが戸籍上15歳に達していなかったので、出生及び小学校入学が2年遅れとなっている(校名の白石は、字名)[1]。 |
1923年 | 12歳 父音市、八幡に転住、八幡製鉄に勤める。良一は祖父の許で暮らす[1]。 | |
1924年 | 3月 | 13歳 白石尋常小学校卒業。家族の許へ。福岡県立八幡中等学校の入試を受けるも失敗[1]。 |
4月 | 八幡市内の高等小学校高等科入学[1]。 | |
1925年 | 4月1日 | 14歳 門司市豊国中学校(私立)入学。八幡の父母の許から汽車で通学。突然失踪、東京へ。豊国中学校校長は西田幸太郎。彼の娘西田節子が東京音楽学院出身で、帰郷していたため彼女からピアノの指導を受けたりして、音楽の才能を伸ばす[1]。 |
1929年 | 2月 | 16歳 豊国中学校終了[1]。 |
4月 | 東京高等音楽学院(国立音楽大学前身)ピアノ科入学。ドイツ人教師レオ・シロタにピアノを、堀内敬三、古賀政男等に歌唱の個人指導を受ける[1]。 | |
1931年 | 20歳 歌手としてデビュー、藤山一郎と共に注目を浴びる[1]。 | |
3月 | 故郷二浦に帰り、郡内の小学校、天草中学、本渡高等女学校で独唱会を開き音楽行脚[1]。 | |
4月 | 熊本へ出て、熊本市内各中学校で独唱会を開く[1]。 | |
4月20日 | 私立鎮西中等学校音楽教師となる[1]。 | |
7月 | 教師を辞めて上京。以後、徴兵検査を受けるまで、故郷との接触を断つ[1]。 | |
1932年 | 21歳 歌手として1934年までコロムビア、ニットー、タイヘイ、テイチク、タイヨー、オーゴン等のレコード会社から多くの歌謡曲を録音。自身最初のレコードの吹込年月、曲名は不明[1]。 | |
1933年 | 春 | 22歳 徴兵検査のため帰郷。検査の結果不合格。そのまま天草に留まり、天草各地の学校を巡回して、新しい歌謡曲を紹介する[1]。 |
6月20日 | 天草小唄の歌詞を募集。郷土紙みくに社社長の吉見教英と出会い、みくに社後援で、みくに紙に歌詞募集の広告を出す。横田が天草小唄を録音したいと考えたのは、郷土天草を広く全国へ知らしめたいと考えたためと、雲仙が国立公園に指定されようとしていたので、天草もそれに組み入れられるための運動の一環でもあった[1]。 | |
8月17日 | 天草小唄の歌詞入選が決定。入選者は熊本市職員平野雅昿(旧名正夫)[1]。 | |
8月29日 | 上京。作曲は古賀政男に依頼しようとしたが、古賀が病気のため、大村能章に依頼[1]。 | |
9月22日 | 日本コロムビアにて「天草小唄」を録音。芸名は横山良三[1]。 | |
10月20日 | 「天草小唄」発売。定価1円50銭。大ヒット。裏面は「天草民謡」。作詞・肥前泰隆、作曲・大村能章、歌・赤坂小梅[1]。 | |
1934年 | 3月16日 | 日本最初の国立公園「雲仙国立公園」指定。天草は入らず[1]。 |
夏 | 「牛深小唄」の依頼を受け、視察のため牛深へ。「牛深小唄」の作詞を依頼する前提で平野雅昿を伴う[1]。 | |
11月 | 23歳 喉頭結核を発症[1]。 | |
1935年 | 2月 | 24歳 重体となる。東大病院で手術を受けようとするが、多額の費用を捻出できず断念[1]。 |
3月 | 妻・登美子を伴い、父の許・八幡に帰る[1]。 | |
4月 | 鹿児島県出水市に転居していた祖父・嘉市の許に身を寄せ治療に専念[1]。 | |
7月 | 妻・登美子を東京へ帰す[1]。 | |
11月 | 八幡の両親の許へ帰る。[1] | |
1936年 | 1月10日 | 午前6時、両親の許で急逝。享年24歳[1]。 |
1939年 | 吉見らの骨折りで、「牛深小唄」発売[1]。 | |
1953年 | 5月 | 「天草小唄」再生版発売。裏面は「肥後五十四万石」[1]。 |
9月25日 | 浜名志松、みくに紙に「天才歌手 横田良一伝」連載開始。1954年4月30日号迄、28回連載[1]。 | |
1960年 | 7月24日 | 本渡港に「天草小唄」歌碑が建立[1]。 |
1979年 | 7月 | 浜名志松、『横田良一伝』を発行[1]。 |
1982年 | 11月 | 牛深市(現天草市牛深町)で第1回横田良一顕彰音楽祭が開催。1986年まで継続[1]。 |
1986年 | 12月 | 牛深市二浦町(現天草市二浦町)に「横田良一生誕の地」/「天草小唄歌碑」顕彰碑が建立[1]。 |
1998年 | 第1回横田良一音楽祭が開催[1]。 |