橋本又吉郎
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橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(慶応元年12月15日) - 1928年(昭和3年)6月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。
経歴
[編集]1866年1月31日(慶応元年12月15日)、安芸国安芸郡段原村(現:広島県広島市南区段原)[1]で、橋本雅辰の二男として生まれる[2]。1886年(明治19年)12月10日、海軍兵学校(13期)を卒業し、1888年(明治21年)9月24日、海軍少尉に任官[1]。1898年(明治31年)海軍少佐。1899年(明治32年)5月吾妻回航委員としてフランスに出張し、吾妻航海長として1900年(明治33年)10月に帰国[1]。1901年(明治34年)中佐に昇格、翌年戦艦富士航海長。1906年(明治39年)大佐に昇任し、巡洋艦明石艦長を務める。1911年(明治44年)巡洋艦磐手艦長、巡洋艦筑波艦長に就任。1912年(明治45年)横須賀港務部長、同年(大正元年)舞鶴港務部長を歴任。1914年(大正3年)3月31日に少将に昇任と同時に予備役編入[1]。1917年(大正6年)後備役を経て、1922年(大正11年)12月15日に退役した[1]。
1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)まで修道中学校(現修道中学校・修道高等学校)理事長を務める[3]。1928年(昭和3年)6月3日逝去[4]。
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月14日 - 正八位[5]
- 1893年(明治26年)1月31日 - 従七位[6]
- 1895年(明治28年)11月26日 - 正七位[7]
- 1906年(明治39年)11月30日 - 従五位[8]
- 1911年(明治44年)12月20日 - 正五位[9]
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第10巻、発売:第一法規出版、1995年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。