橘俊通
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 長保4年(1002年) |
死没 | 康平元年10月5日(1058年10月24日) |
官位 | 従五位上・信濃守 |
主君 | 後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘為義、母:大江清通娘 |
兄弟 | 義通、俊通 |
妻 | 菅原孝標女 |
子 | 仲俊、女子、女子 |
橘 俊通(たちばな の としみち)は、平安時代中期の貴族。但馬守・橘為義の四男。官位は従五位上・信濃守。妻は『更級日記』の作者菅原孝標女。
経歴
[編集]藤原定家 『更級日記 御物本』 奥書による。
- 時期不詳:帯刀長
- 治安3年(1023年) 4月20日:昇殿、左衛門尉
- 長元4年(1031年) 11月21日:六位蔵人
- 長元5年(1032年) 正月7日:従五位下
- 長久元年(1040年)頃 『更級日記』の作者・菅原孝標女と結婚
- 長久2年(1041年) 正月25日:下野守
- 時期不詳:従五位上
- 天喜5年(1057年) 7月30日:信濃守
- 康平元年(1058年) 卒去。享年57
系譜
[編集]出典
[編集]- 『尊卑分脈』
- 『信濃史料』
- 藤原定家 『更級日記 御物本』 奥書