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橘公清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘 公清
時代 平安時代末期
改名 氏家公清
別名 氏家公清
官位 右馬允
二条天皇帯刀舎人
讃岐国司目代
主君 二条天皇
藤原秀能
氏族 讃岐橘氏
河内橘氏
父母 父:橘公盛
母:不詳
八田朝綱の妹
橘公頼(氏家公頼)
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橘 公清(たちばな の きみきよ)は、平安時代末期の武士。

官職は右馬允で、二条天皇帯刀舎人を務めたのち讃岐国司藤原季能の右衛府目代となった。

讃岐橘氏で後裔に橘公業がいる[1]。父は従四位下下野守の橘公盛。

略歴

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年代不明。二条天皇の帯刀舎人に就任[2][3]

仁安2年(1167)十月廿五日、父公盛の後任として讃岐国司・藤原秀能の目代右衛府に就任[4]

仁安2年目(1167)、讃岐国大内郡水主神社目代として参拝[5]

年代不明、父が下野国目代であったとき八田朝綱の妹を娶り、長男公頼が生まれる。

年代不明、氏家と号する。

年代不明、長男公頼が母方の伯父である朝綱の猶子になり、氏家の地を領して、氏家を名乗る。

脚注

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  1. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年6月22日閲覧。
  2. ^ ? (2001-06). “PiD-Mailbox”. PiD - Psychotherapie im Dialog 2 (2): 236–236. doi:10.1055/s-2001-15593. ISSN 1438-7026. https://doi.org/10.1055/s-2001-15593. 
  3. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年6月22日閲覧。
  4. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年6月22日閲覧。
  5. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年6月22日閲覧。

参考文献

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  • 「大楠公の研究」 (徳化記念 ; 第4号),香川県女子師範学校校友会文芸部,(昭和10年)info:ndljp/pid/1092710
  • 「史料通信叢誌 拾參」,[近藤瓶城] [編]〔1893〕-〔1898〕info:ndljp/pid/1920556
  • 「香川県神社誌 上巻」,香川県神職会 編,(昭13年)info:ndljp/pid/1227836
  • 「続日本古代史論集 下巻 春宮坊帯刀舎人の研究」(笹山晴生),1972,info:ndljp/pid/3013158