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橘家圓三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘家 圓三(たちばなや えんざ)は、落語。「橘家」の亭号は元来、東京三遊亭の傍流であるが、土居成の圓三は上方落語家三遊亭圓三としても名乗った。


橘家たちばなや 圓三えんざ
橘家(たちばなや) 圓三(えんざ)
橘ノ圓都一門の定紋「丸に九枚笹」
本名 土居どい しげる
生年月日 1947年11月14日
没年月日 (2021-03-15) 2021年3月15日(73歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県
師匠 三代目林家染丸
二代目笑福亭松之助
橘ノ圓都
三代目桂米朝
名跡 1. 林家染和
(1967年 - 1968年)
2. 笑福亭つる松
(1968年 - ?)
3. 明石家つる松
(時期不明)
4. 橋本圓三
(時期不明)
5. 扇屋圓三
(? - 1971年)
6. 橘家圓三
(1971年 - 2021年)
活動期間 1967年 - 2021年
所属 フリー
備考
上方落語協会会員

橘家 圓三(たちばなや えんざ、1947年11月14日 - 2021年3月15日)は、上方落語家。本名・土居 成

経歴

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愛媛県生まれ、大阪市旭区育ち。興國高校卒業。

1967年4月、三代目林家染丸に入門し「染和」で初高座。染丸の死後1968年7月13日に二代目笑福亭松之助門下に移り「笑福亭つる松」を名乗る。後に明石家つる松に改名するが、1970年5月21日に破門される[1][注釈 1]

その後「橋本圓三」、「扇屋圓三」と改名。1971年橘ノ圓都門下に入り、「橘家圓三」を名乗る。ラジオ番組でのパーソナリティーとしても活躍した。圓都の死後の1972年8月に三代目桂米朝の預かり弟子となる。

40歳以降は医療関係書籍の編集出版を手がけ、食、健康、介護に関する講演も行っていた。若手の時からその実力に注目されてはいたが、もうこの時期は落語家として高座には上がっていなかった。

2012年2月、8月の二代目桂ざこば動楽亭で高座に復帰。以降不定期ながら動楽亭に出演。

2021年3月15日、死去[2]。73歳没。

芸歴

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出演番組

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  • 東西南北 ふれあい広場(ラジオ関西
  • さんちかふれあい広場(ラジオ関西)
  • ときめいて昼下がり(ラジオ関西)

脚注

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注釈

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  1. ^ 破門理由は明らかにされていないが、松之助曰く「人の道に反したから」であった。松之助の怒りは相当なもので、直筆の破門状を所属していた吉本興業の各花月劇場のみならず、道頓堀角座神戸松竹座新花月といった各演芸場の楽屋に貼り出させ、同様の文書を上方落語協会、各放送局や東京の落語協会芸術協会にまで送り付けるほどであった。なお、これに関して後に圓三を引き取ることになる桂米朝は、圓三ではなく松之助に対し同情的なコメントを発していた。

出典

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  1. ^ 大阪日日新聞』 1970年5月23日付 2面
  2. ^ “橘家円三”. 上方落語家名鑑. https://kamigatarakugo.jp/directory/ichimon/tachibanano_enza/ 2021年11月11日閲覧. "(2021年3月15日没)" 


参考文献

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