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橘常蔭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘常蔭
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 常陰
官位 従五位上右兵衛権佐
主君 仁明天皇文徳天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘氏人
兄弟 清蔭休蔭常蔭信蔭、茂蔭
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橘 常蔭(たちばな の つねかげ)は、平安時代前期の貴族。系譜は明らかでないが、太政大臣橘奈良麻呂曾孫で、神祇伯橘氏人の子と想定される[1]。名は常陰とも記される。官位従五位上右兵衛権佐

経歴

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承和15年(848年正六位上から従五位下叙爵

嘉祥3年(850年文徳天皇の即位直前に讃岐権介に任ぜられる。仁寿元年(851年)に次侍従、仁寿2年(851年)には讃岐介に任ぜられた。仁寿4年(854年大判事に転じ、のち刑部少輔・縫殿頭右兵衛権佐と京官を歴任した。この間の斉衡3年(856年)に従五位上に昇叙されている。

官歴

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  • 承和15年(848年) 正月7日:従五位下[2]
  • 嘉祥3年(850年) 4月1日:讃岐権介[3]
  • 仁寿元年(851年) 4月28日:次侍従
  • 仁寿2年(852年) 正月15日:讃岐介
  • 仁寿4年(854年) 2月16日:大判事
  • 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位上。7月13日:刑部少輔。8月28日:縫殿頭
  • 天安元年(857年) 2月23日:右兵衛権佐

脚注

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  1. ^ 近藤[1996: 81]
  2. ^ 続日本後紀
  3. ^ 以下、『日本文徳天皇実録

参考文献

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  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。