橘春成
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・大膳大夫 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘枝主 |
兄弟 | 高成、春成 |
子 | 秋実、高見王妃 |
橘 春成(たちばな の はるなり)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。図書頭・橘枝主の子。官位は従五位上・大膳大夫。
経歴
[編集]仁明朝の承和13年(846年)従五位下に叙爵し、嘉祥元年(848年)能登守に任ぜられる。
仁寿4年(854年)斎院長官に任ぜられると、天安2年(858年)雅楽頭、天安3年(859年)大判事と文徳朝後半から清和朝前半にかけて京官を歴任した。貞観9年(867年) 正月に従五位上・武蔵守に叙任されて地方官に転じるが、早くも翌月には大膳大夫として京官に復している。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位下
- 嘉祥元年(848年) 8月26日:能登守
- 仁寿4年(854年) 2月16日:斎院長官
- 天安2年(858年) 11月25日:雅楽頭
- 天安3年(859年) 正月13日:兼上総介。2月13日:大判事
- 貞観3年(861年) 正月13日:兼越中権守
- 貞観9年(867年) 正月7日:従五位上。正月12日:武蔵守。2月11日:大膳大夫
- 貞観12年(870年) 12月29日:次侍従
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『秩父慈光寺栄朝大禅師系図』