橘 (桜型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1907年度[1] |
起工 | 1911年4月29日[1] |
進水 | 1912年1月27日[1] |
就役 | 1912年6月25日[1] |
その後 | 1912年8月28日二等駆逐艦[1] 1933年1月1日廃駆逐艦第5号と仮称[1] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
廃船 | 1936年5月28日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:公表値 530トン 常備:計画 600トン[注釈 1] |
全長 | 全長:83.51m 水線長:82.29m[注釈 2] 垂線間長:260 ft 0 in (79.25 m) |
全幅 | 24 ft 0+3⁄8 in (7.32 m) |
吃水 | 7 ft 3 in (2.21 m) |
深さ | 4.65m |
機関 | 推進:3軸 x 390rpm 主機:直立4気筒3段レシプロ 3基 出力:計画 9,500実馬力[注釈 3] ボイラー:イ号艦本式缶(混焼) 5基[注釈 4] |
最大速力 | 計画: 30ノット 1931年時 31ノット |
燃料 | 重油30トン、石炭226トン |
航続距離 | 2,400カイリ / 15ノット |
乗員 | 竣工時定員:92名[2] 1928年公表値 96名 |
兵装 | 40口径四一式4.7インチ(12cm)砲 1門 40口径四一式3インチ(8cm)砲 4門 四二式5号18インチ(45cm)連装発射管 2基4門 |
搭載艇 | 4隻 |
備考 | ※トンは英トン |
橘(たちばな)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桜型駆逐艦の2番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「橘」があるため、こちらは「橘 (初代)」や「橘I」などと表記される。
艦歴
[編集]1911年(明治44年)4月29日、舞鶴海軍工廠で起工[3]、1912年(明治45年)1月27日、進水[3][4]。同年6月25日、竣工[3][5]。
1919年(大正8年)から1925年(大正14年)まで華南、華北の沿岸警備に従事した[1]。
1932年(昭和7年)4月1日除籍。1933年(昭和8年)1月1日、廃駆逐艦第5号(二代)と仮称[1][6]。1936年(昭和11年)5月28日、廃船。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 樺山信之 少佐:1912年4月5日 - 1913年12月1日
- *兼舞鶴海軍工廠艤装員(1912年4月5日 - 6月25日)
- 館明次郎 少佐:1913年12月1日 - 1914年8月15日
- 福岡成一 少佐:不詳 - 1915年12月13日
- 園田義治 少佐:1915年12月13日 - 1916年1月28日
- 砥川三郎 少佐:1916年1月28日 - 1916年6月1日
- 柘植道二 少佐:1916年6月1日 - 9月12日
- 神谷京 少佐:1916年9月12日 - 1917年12月1日[7]
- 村上正之助 少佐:1917年12月1日[7] - 1918年12月1日[8]
- 赤沢堅三郎 大尉:1918年12月1日[8] - 1919年12月1日[9]
- 高山忠三 少佐:1919年12月1日[9] - 1921年1月7日[10]
- (兼)荒糺 少佐:1921年1月7日 - 7月26日
- 藤田寅治 少佐:1921年7月26日[11] - 12月1日[12]
- 谷田武夫 少佐:1921年12月1日[12] - 1922年3月20日[13]
- 一ノ瀬英太 少佐:1922年3月20日[13] - 1923年11月1日[14]
- (心得)佐藤慶蔵 大尉:1923年11月1日[14] - 12月1日[15]
- 佐藤慶蔵 少佐:1923年12月1日[15] - 1925年5月1日[16]
- 直塚八郎 少佐:1925年5月1日 - 1925年12月1日
- 直塚八郎 少佐:不詳 - 1926年2月5日[17]
- (兼)樋口通達 少佐:1926年2月5日[17] - 8月1日[18]
- (兼)池田七郎 少佐:1926年8月1日[18] - 12月1日[19]
- 秋山輝男 少佐:1926年12月1日 - 1928年1月20日
- 河西虎三 少佐:1928年1月20日[20] - 12月10日[21]
- 高橋一松 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月1日
- (兼)板倉得止 少佐:1929年11月1日 - 1929年11月30日
- (兼)加瀬三郎 少佐:1929年11月30日 - 1931年4月1日
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #軍艦基本計画資料 Sheet59によると橘の完成常備排水量は679.748トン。
- ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
- ^ #帝国海軍機関史(別冊)第13表『列国製艦一覧表 其ノ六』によると、橘の実数値は11,256馬力、30.22ノット。
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年艦船要目公表範囲では「艦本式4」、『駆逐艦』の本文中の表(p105)では缶数4基となっている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『日本海軍史』第7巻、295-296頁。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.508『明治四十四年十二月二十日(内令二四〇) 海軍定員令別表中ヘ附表ノ通驅逐艦定員表其五ヲ追加セラル |艦第二十一表ノ三 | 驅逐艦定員表 其五 | 驅逐艦名 | 櫻 |(以下略)』將校相當官4人、兵曹長同相當官、准士官4人、下士22人、卒62人。『明治四十五年一月二十七日(内令二二) 海軍定員令別表驅逐艦定員表其五中「櫻」ノ次ニ「橘」ヲ追加セラル』
- ^ a b c #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
- ^ #M45-T1公文備考29艦船3/駆逐艦桜橘製造の件画像38『四十五年一月廿七日(中略)駆逐艦橘午後二時五分無事進水結了』
- ^ #M45-T1公文備考29艦船3/駆逐艦桜橘製造の件画像42『明治四十五年六月廿五日(中略)駆逐艦櫻 右本日舞鶴海軍工廠長茶山豊也ト橘駆逐艦長樺山信之トノ間ニ授受結了ス 右報告ス』
- ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」11頁。
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第2528号、大正10年1月8日。
- ^ 『官報』第2697号、大正10年7月27日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
- ^ a b 『官報』第3359号、大正12年11月2日。
- ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
- ^ a b 『官報』第4034号、大正15年2月6日。
- ^ a b 『官報』第4182号、大正15年8月2日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第317号、昭和3年1月21日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
参考文献
[編集]- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『日本駆逐艦物語』 福井静夫著作集第5巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『明治45年~大正1年 公文備考 巻29 艦船3/駆逐艦桜橘製造の件』。Ref.C08020041400。