檜垣裕志
檜垣 裕志(ひがき ゆうし、1970年 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者である。
石川県出身で、ブラジルでプロ契約を結んだ日本人選手として2人目となった[1]。
2024年8月現在、明光サッカースクールでサッカー指導を行っている[2]。
経歴
[編集]サッカー留学とブラジルでのキャリア
[編集]1990年に高等学校を卒業後、ブラジルにサッカー留学。サッカーを始めたのが17歳と遅く、ブラジル渡航当時はリフティングもまともにできなかったという[3]。ブラジル一部リーグのクラブ、ポルトゲーザのジュニオールチームに練習生として参加したが、当初は技術の拙い檜垣は他の選手から見下され、その打開策を相談したコーチから「テニスボールによるリフティング」を指示されてやり遂げた[3]。また、日本では両方の足を均等に使えるよう教えられたが、それとは異なるブラジルの指導法を見て、自身も利き足の精度を高めることに集中した[3]。
1993年、ポルトゲーザとプロ契約を結び、ブラジル一部リーグでプレーした日本人選手として2人目となった[1]。
1995年、ポルトゲーザでサンパウロ州選手権大会準優勝を果たした後、1996年にはSEマツバラに移籍[4]。
1996年には鳥栖フューチャーズへの入団が内定していたが、チーム解散のため実現しなかった[1]。
引退後の活動
[編集]引退後、FIFAおよびCBF公認のコーチライセンスを取得し、サッカー指導者としての道を歩む[1]。日本国内で若手選手の育成に携わっており、明光サッカースクールで指導を行っている[2]。 2024年には、俳優の永山瑛太が自身のInstagramで檜垣とサッカーの練習をしたことを紹介した[5]。
プレーの特徴
[編集]檜垣は特に右足でのボールコントロールや的確なパス、スピードに優れていた。ブラジルでのキャリアにおいて、「和製ロマーリオ」として知られたが、この評価は主に現地メディアによるものである[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “日本サッカーに新たな歴史刻む 檜垣裕志氏 九州のクラブに”. 佐賀新聞. (2023年7月18日) 2024年8月31日閲覧。
- ^ a b “明光サッカースクール公式ウェブサイト”. 2024年8月31日閲覧。
- ^ a b c 加部究 (2018年2月28日). “17歳でサッカーを始めブラジルへ 「リフティングができない」日本人が見た“本物の技術””. THE ANSWER. 2024年8月31日閲覧。
- ^ a b c “檜垣裕志 - ブラジルでのキャリア”. 2024年8月31日閲覧。
- ^ “永山瑛太 元プロ選手と感動のサッカー朝練「ずっと右足だけ強化していたら俳優になっていなかったかも」”. スポーツニッポン. (2024年4月5日) 2024年8月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- 檜垣裕志 (@higaki_yushi) - TikTok
- 明光サッカースクール
- 檜垣裕志 公式ウェブサイト