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檜尾寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
檜尾寺
所在地 滋賀県甲賀市甲南町池田43
位置 北緯34度53分58.296秒 東経136度12分07.774秒 / 北緯34.89952667度 東経136.20215944度 / 34.89952667; 136.20215944座標: 北緯34度53分58.296秒 東経136度12分07.774秒 / 北緯34.89952667度 東経136.20215944度 / 34.89952667; 136.20215944
山号 補陀洛山
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 (伝)仁寿3年(853年
開基 (伝)円仁
中興年 宝永年間(1704年-1711年
中興 隆照大和尚
札所等 近江西国三十三箇所第30番
甲賀西国三十三所第11番
びわ湖百八霊場第84番
文化財 木造千手観音立像(国の重要文化財)、木造釈迦如来立像(市指定文化財)
法人番号 4160005002963 ウィキデータを編集
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檜尾寺(ひのおじ)は、滋賀県甲賀市甲南町池田にある天台宗の寺院[1]。山号は補陀洛山[1]本尊千手観音[1]

歴史

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寺伝によれば、大師根本中堂を建立の際、木材を求めてこの地を訪れたが、大蛇が山にいて樹木を焼き人々に害をなしていた[2]。大師の夢に老翁が現れ、「降伏せんと欲する大蛇は不加天津彦火瓊杵尊神なり。龍法を禁じ我これより南山那智に居す。」と言って姿を消した。大師は観音の霊告を喜び千手観音像を自作した。明神本迹の修法をしたところ、蛇はその形を変え、雲煙となった。これにより、補陀落山、火尾寺と号した。

853年仁寿3年)に円仁文徳天皇の奉勅により堂宇を再建したと伝えられる[2]。この時、火の字を檜に変え、檜尾寺と改称した。かつては檜尾社の別当職として28院6坊を有する大寺であった。

永禄1558年-1570年)以降、数回の兵火にかかり、宝永年間(1704年-1711年)に隆照大和尚が再建した。また、安政年間(1854年-1860年)に元空大和尚が現在の本堂を再建した。

明治維新前は境内を接する檜尾神社別当寺で、これに文殊院が接している。

文化財

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以下の2体が収蔵庫に保管されている。毎年1月1から3日、2月1日、8月18日(採燈護摩)の5日間のみ拝観可能。

  • 木造千手観音立像 鎌倉時代(国の重要文化財) - 像高145cm、檜材、寄木造、彫眼、漆箔
  • 木造釈迦如来立像 鎌倉時代(市指定文化財) - 像高178.5cm、寄木造、漆箔、院派仏師作

札所

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境内

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脚注

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  1. ^ a b c d 第八十四番 補陀洛山 檜尾寺”. びわ湖108霊場. 2019年9月27日閲覧。
  2. ^ a b c 檜尾寺”. 甲賀市観光協会. 2019年9月27日閲覧。