檜尾寺
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檜尾寺 | |
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所在地 | 滋賀県甲賀市甲南町池田43 |
位置 | 北緯34度53分58.296秒 東経136度12分07.774秒 / 北緯34.89952667度 東経136.20215944度座標: 北緯34度53分58.296秒 東経136度12分07.774秒 / 北緯34.89952667度 東経136.20215944度 |
山号 | 補陀洛山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | (伝)仁寿3年(853年) |
開基 | (伝)円仁 |
中興年 | 宝永年間(1704年-1711年) |
中興 | 隆照大和尚 |
札所等 |
近江西国三十三箇所第30番 甲賀西国三十三所第11番 びわ湖百八霊場第84番 |
文化財 | 木造千手観音立像(国の重要文化財)、木造釈迦如来立像(市指定文化財) |
法人番号 | 4160005002963 |
檜尾寺(ひのおじ)は、滋賀県甲賀市甲南町池田にある天台宗の寺院[1]。山号は補陀洛山[1]。本尊は千手観音[1]。
歴史
[編集]寺伝によれば、大師が根本中堂を建立の際、木材を求めてこの地を訪れたが、大蛇が山にいて樹木を焼き人々に害をなしていた[2]。大師の夢に老翁が現れ、「降伏せんと欲する大蛇は不加天津彦火瓊杵尊神なり。龍法を禁じ我これより南山那智に居す。」と言って姿を消した。大師は観音の霊告を喜び千手観音像を自作した。明神本迹の修法をしたところ、蛇はその形を変え、雲煙となった。これにより、補陀落山、火尾寺と号した。
853年(仁寿3年)に円仁が文徳天皇の奉勅により堂宇を再建したと伝えられる[2]。この時、火の字を檜に変え、檜尾寺と改称した。かつては檜尾社の別当職として28院6坊を有する大寺であった。
永禄(1558年-1570年)以降、数回の兵火にかかり、宝永年間(1704年-1711年)に隆照大和尚が再建した。また、安政年間(1854年-1860年)に元空大和尚が現在の本堂を再建した。
明治維新前は境内を接する檜尾神社の別当寺で、これに文殊院が接している。
文化財
[編集]以下の2体が収蔵庫に保管されている。毎年1月1から3日、2月1日、8月18日(採燈護摩)の5日間のみ拝観可能。
札所
[編集]- 近江西国第三十三箇所第30番[2]
- 甲賀西国三十三所第11番
- びわ湖百八霊場第84番[1]
境内
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入口付近
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収蔵庫
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鐘楼