武居綾蔵
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武居 綾蔵(たけい あやぞう、明治3年12月5日(1871年1月25日)[1] - 昭和7年(1932年)12月9日)は、日本の実業家。内外綿頭取や在華日本紡績同業会委員長を務めた。
来歴・人物
[編集]長野県諏訪郡湖南村生まれ[2][3]。長野県尋常中学校(現・長野県松本深志高等学校)を経て[4]、1892年高等商業学校(現・一橋大学)卒業[2][3]、市立大阪商業学校(現・大阪公立大学)教諭[2]。1895年日印貿易会社入社。1902年同社副支配人。1903年同社支配人[5]。
1912年内外綿取締役[2]。1922年から同社頭取となり[3]、高付加価値化戦略を進めた[6]。1929年在華日本紡績同業会委員長[5]。また、日華学会評議員[7]、大阪朝日新聞社内東亜調査会評議員なども務め、日満経済協和会を創立[2]。
頭取在任中の1932年に死去[8]。特旨を持って従六位を追賜され[9]、阿倍野斎場で社葬が行われた[8]。住所は西宮市夙川[10]。蔵書家[5]、美術品蒐集家でもあり[11][12]、一部は大阪市立美術館に収蔵された[13][14]。
親族
[編集]工学者の武居高四郎京都大学名誉教授や[15][16]、大阪朝日新聞論説委員などを務めた武居巧は養子[17]。
著書
[編集]- 『米二草書』博文堂 1927年
- 『武居遺文小集』1934年
編書
[編集]- 『古本三国志』1931年
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、た160頁。
- ^ a b c d e 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus 2004.
- ^ 武居遺文小集
- ^ a b c 小助川貞次「階層構造から見た唐鈔本漢書楊雄伝の研究課題」訓点語と訓点資料 (141) 1-22 2018年9月
- ^ 桑原哲也「日本企業の国際経営に関する歴史的考察 両大戦間期, 中国における内外綿会社」日本労働研究雑誌No. 562/May 2007
- ^ 財団法人日華学会年報 第24回(昭和15年度)
- ^ a b 内外綿(株)『内外綿株式会社五十年史』(1937.09)
- ^ 官報 1932年12月17日
- ^ 現代紳士録 : 出身学校別
- ^ 東洋史稿
- ^ 翰墨談 3版
- ^ 遺珠─大阪市立美術館所蔵書画選 | 展示作品解説大阪市立美術館
- ^ 〈展覧会報告〉大阪市立美術館
- ^ 岡山県御津郡案内誌
- ^ 日本官界名鑑 昭和14年版
- ^ 人事興信録 第13版(昭和16年) 下