コンテンツにスキップ

武居綾蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武居 綾蔵(たけい あやぞう、明治3年12月1871年)- 昭和7年(1932年12月9日)は、日本の実業家内外綿頭取や在華日本紡績同業会委員長を務めた。

来歴・人物[編集]

長野県諏訪郡湖南村生まれ[1][2]。長野県尋常中学校(現・長野県松本深志高等学校)を経て[3]、1892年高等商業学校(現・一橋大学)卒業[1][2]、市立大阪商業学校(現・大阪公立大学)教諭[1]。1895年日印貿易会社入社。1902年同社副支配人。1903年同社支配人[4]

1912年内外綿取締役[1]。1922年から同社頭取となり[2]、高付加価値化戦略を進めた[5]。1929年在華日本紡績同業会委員長[4]。また、日華学会評議員[6]大阪朝日新聞社内東亜調査会評議員なども務め、日満経済協和会を創立[1]

頭取在任中の1932年に死去[7]。特旨を持って従六位追賜され[8]阿倍野斎場で社葬が行われた[7]。住所は西宮市夙川[9]。蔵書家[4]美術品蒐集家でもあり[10][11]、一部は大阪市立美術館に収蔵された[12][13]

親族[編集]

工学者武居高四郎京都大学名誉教授や[14][15]大阪朝日新聞論説委員などを務めた武居巧は養子[16]

著書[編集]

  • 『米二草書』博文堂 1927年
  • 『武居遺文小集』1934年

編書[編集]

  • 『古本三国志』1931年

脚注[編集]

参考文献[編集]