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武政藤太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武政 藤太郎(たけまさ とうたろう、1857年10月12日安政4年8月25日[1] - 没年不明)は、日本政治家、銀行家。埼玉県大里郡榛沢村[1][2]。深谷銀行取締役[3]。族籍は埼玉県平民[4]

経歴

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埼玉県大里郡榛沢村(のち岡部町、現・深谷市)出身。兵助の嫡男[1]寺子屋に学び、私塾等にて漢学を研修する[1]農業を営む[3]。戸長連合村副戸長を歴任する[1]

榛沢村助役に推され、10数年に亘り勤続して村長を補佐する[1]1894年4月に榛沢村長に就任し、1902年10月に退職する[2]。榛沢村会議員を4期つとめる[1]

人物

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村政の元老で、多年自治開発に努力精進して名望が高かった[1]

家族

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武政家

武政家は旧幕時代組頭をつとめた[1]

  • 父・兵助 - 篤農の士として知られ、公共にも志が篤く村内の顔役であった[1]
  • 妻・かね子[1]
  • 嗣子・[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『自治団体之沿革 埼玉及千葉県之部』自治団体之沿革(埼玉県之部)と60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月19日閲覧。
  2. ^ a b 『埼玉県市町村合併史 下』925頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月19日閲覧。
  3. ^ a b 『大日本紳士名鑑』32 - 33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月19日閲覧。
  4. ^ 『埼玉県職員録 明治32年1月』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月19日閲覧。

参考文献

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  • 『埼玉県職員録 明治32年1月』埼玉県、1877 - 1899年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 篠田皇民編『自治団体之沿革 埼玉及千葉県之部』東京人事調査所、1928年。
  • 埼玉県総務部地方課編『埼玉県市町村合併史 下』埼玉県、1962年。