武藤七郎
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武藤 七郎(むとう しちろう、1883年(明治16年)8月23日[1] – 1965年(昭和40年)3月7日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党→立憲政友会)。
経歴
[編集]群馬県山田郡休泊村(現在の太田市)出身[3]。1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、さらに大学院で学んだ[4]。『東京日日新聞』記者、日本大学講師、呉市助役、東京市社会局総務課長、協調会情報部長・農村課長を歴任した[3][4]。その間、ワシントンでの第1回国際労働会議、ジュネーヴでの第4回国際労働会議に労働代表顧問として参加した[3]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
著書
[編集]- 『国民教育 法制綱要』(帝国書院、1918年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧(乙) 昭和三年』衆議院事務局、1928年。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。