武藤安成
表示
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 永禄元年(1558年) |
死没 | 寛永元年4月29日(1624年6月14日) |
別名 | 理兵衛 |
戒名 | 宗成 |
墓所 | 酬恩庵(京都府京田辺市) |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 増田長盛、徳川家康、秀忠 |
氏族 | 藤原北家秀郷流 武藤氏 |
父母 | 武藤安盛、福住左京亮の娘 |
妻 | 鈴木重五左衛門の娘 |
子 | 安信、安之、安通 |
武藤 安成(むとう やすなり)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。
人物
[編集]三好長慶に仕えた武藤安盛の子。当初は増田長盛に仕えたが、のち山城国酬恩庵に隠棲していた。その後、駿府の徳川家康に召されて勘定方として仕官し、慶長11年(1606年)大和国式下郡に510石余を与えられた。慶長19年(1614年)大坂冬の陣、翌年の夏の陣には幼い子・安信とともに参陣した。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』