歩兵第114連隊
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歩兵第114連隊 | |
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創設 | 1937年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 福岡 |
通称号/略称 | 菊8905 |
上級単位 | 第18師団 |
最終位置 | ビルマ ラングーン東方 |
戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第114連隊(ほへいだい114れんたい、歩兵第百十四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1937年(昭和12年)
- 1月9日 - 広東・虎門を出港
- 1月22日 - シンゴラに上陸、マレー作戦に参加。同地を占領後はジョホール州の警備に就く
- 3月4日 - 第18師団のビルマ転進のため移動を開始、マンダレーやシャン州の戦いに参加、ミイトキーナの警備に就く
- 1944年(昭和19年)
- 5月 - 空挺部隊を中心に連合国軍に包囲される。最終的に二千数百名が戦死する
- 8月 - ミイトキーナ守備隊は離脱を開始
- 9月15日 - 連隊の生き残りがバーモに到着する。再編成のためモンミットに移動する
- 1945年(昭和20年)
- 2月末 - メイクテーラが連合国軍に占領される
- 3月1日 - 第18師団主力はメイクテーラ奪回作戦を開始、連隊はモンミットの警備を続ける
- 4月 - 師団は作戦を中止し後退を開始、本連隊も追及しシッタン川東岸へ向かう
- 5月12日 - 師団主力と合流する
- 7月 - ペグー山系に孤立した第28軍残余部隊の救援に向いシッタン川西岸地区にて作戦し、孤立部隊を収容の後にシッタン川東岸に撤退する
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 片岡覚次 | 1937.9.14 - | |
2 | 竹下幾太郎 | 1938.3.9 - | |
3 | 中島徳太郎 | 1939.1.16 - | |
4 | 伊東武夫 | 1940.8.1 - | |
5 | 小久 久 | 1941.8.25 - | |
6 | 丸山房安 | 1943.3.27 - | ミイトキーナ防衛戦で負傷、更に持病の神経痛が重なった為、第18師団長中永太郎の計らいでラングーン陸軍病院に入院、10月19日をもってビルマ方面軍司令部付に転任。 |
7 | 筒井 恒 | 1944.10.19 - | 満州独立守備隊第一地区隊より着任。4ヵ月後、マラリアに感染しビルマ方面軍司令部付に転任。 |
末 | 大塚宏 | 1945.3.1 - | 師団衛生隊隊長より転任、同時に中佐から大佐に昇進。終戦を迎える。 |
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 小林幸男、大西清、水上輝三、西村正人著『歩兵第百十四連隊の将兵たち』葦書房、1999年。