コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

歩兵第114連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第114連隊
創設 1937年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 福岡
通称号/略称 菊8905
上級単位 第18師団
最終位置 ビルマ ラングーン東方
戦歴 日中 - 第二次世界大戦
テンプレートを表示

歩兵第114連隊(ほへいだい114れんたい、歩兵第百十四聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

[編集]
9月 - 軍旗拝受、編成完結後ただちに華中に派遣され杭州湾から上陸し杭州作戦に参加
10月 - バイアス湾上陸
  • 1941年(昭和16年) - 南方に転用される
  • 1942年(昭和17年)
1月9日 - 広東虎門を出港
1月22日 - シンゴラに上陸、マレー作戦に参加。同地を占領後はジョホール州の警備に就く
3月4日 - 第18師団のビルマ転進のため移動を開始、マンダレーシャン州の戦いに参加、ミイトキーナの警備に就く
5月 - 空挺部隊を中心に連合国軍に包囲される。最終的に二千数百名が戦死する
8月 - ミイトキーナ守備隊は離脱を開始
9月15日 - 連隊の生き残りがバーモに到着する。再編成のためモンミットに移動する
2月末 - メイクテーラが連合国軍に占領される
3月1日 - 第18師団主力はメイクテーラ奪回作戦を開始、連隊はモンミットの警備を続ける
4月 - 師団は作戦を中止し後退を開始、本連隊も追及しシッタン川東岸へ向かう
5月12日 - 師団主力と合流する
7月 - ペグー山系に孤立した第28軍残余部隊の救援に向いシッタン川西岸地区にて作戦し、孤立部隊を収容の後にシッタン川東岸に撤退する
8月 - 終戦

歴代連隊長

[編集]
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 片岡覚次 1937.9.14 -
2 竹下幾太郎 1938.3.9 -
3 中島徳太郎 1939.1.16 -
4 伊東武夫 1940.8.1 -
5 小久 久 1941.8.25 -
6 丸山房安 1943.3.27 - ミイトキーナ防衛戦で負傷、更に持病の神経痛が重なった為、第18師団長中永太郎の計らいでラングーン陸軍病院に入院、10月19日をもってビルマ方面軍司令部付に転任。
7 筒井 恒 1944.10.19 - 満州独立守備隊第一地区隊より着任。4ヵ月後、マラリアに感染しビルマ方面軍司令部付に転任。
大塚宏 1945.3.1 - 師団衛生隊隊長より転任、同時に中佐から大佐に昇進。終戦を迎える。

参考文献

[編集]
  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 小林幸男、大西清、水上輝三、西村正人著『歩兵第百十四連隊の将兵たち』葦書房、1999年。

関連項目

[編集]