歩兵第417連隊
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歩兵第417連隊 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)4月1日[1] |
廃止 | 1945年(昭和20年)9月24日[1] |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 福岡県折尾町[1] |
編成地 | 広島[1][2] |
通称号/略称 | 護州22353[1][2] |
補充担任 | 広島師管区・中国軍管区[3] |
最終上級単位 | 第145師団 |
最終位置 | 福岡県折尾町[1] |
戦歴 | 太平洋戦争 |
歩兵第417連隊(ほへいだい417れんたい、歩兵第四百十七聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月1日に第一次兵備により、本土決戦に備え新設された第145師団の歩兵連隊の一つとして広島で編制された[1]。兵力補充は広島師管区・中国軍管区の歩兵第1補充隊が担任した[3]。5月5日に軍旗を拝受[2]。連隊は福岡県若松地区防衛のために[2]、歩兵第417連隊、歩兵第420連隊連隊砲1小隊、迫撃砲第27大隊2中隊、噴進砲大隊(2中隊欠)、福岡地区第6特設警備隊、福岡地区第7特設警備隊、下関重砲兵連隊の一部からなる右地区隊が編制され[4]、隊長には青山良政連隊長が就いた[4]。右地区隊主力は高塔山、石峰山、岩尾山、椎牟田を主陣地として、敵来襲の際には水際撃滅を企図した[4]。脇田、蟹住などの地区は遊撃地区とし[4]、前進陣地、偽陣地を構築した[4]。配属海岸砲は魚見山に陣地を構築し[4]、芦屋海岸に来襲する敵船舶の破砕を企図した[4]。
終戦時は福岡県折尾町に位置し[1]、9月24日に復員が完結した[1]。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 島内志剛 | 1945.4.2[5] - | 陸士28期[5] |
末 | 青山良政 | 1945.7.[5] - | 陸士34期[5] |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 「第56軍」 アジア歴史資料センター Ref.C12121381400
- ^ a b c d 新人物往来社 1991, 252頁.
- ^ a b 「127.145D 第145師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011178100
- ^ a b c d e f g 「第145師団戦史資料」 アジア歴史資料センター Ref.A03032122800
- ^ a b c d 外山・森松 1987, 1150頁.
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 新人物往来社戦史室 編『日本陸軍歩兵連隊』新人物往来社、1991年。ISBN 978-4404018458。