歩兵第51連隊
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歩兵第51連隊 | |
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創設 | 1905年3月 |
廃止 | 1925年5月 |
再編成 | 1938年4月 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 名古屋 - 津 / 京都 |
通称号/略称 | 祭7370 |
上級単位 | 第13師団 - 第3師団 / 第15師団 |
最終位置 | タイ王国 カーンチャナブリー県ワンポウ |
戦歴 | 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第51連隊(ほへいだい51れんたい、歩兵第五十一聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1905年(明治38年)
- 1944年(昭和19年)
- 2月 - レウに集結完了
- 3月15日 - チンドウィン川を渡河
- 3月17日 - 国境を突破、インドに進入する
- 4月1日 - アラカン山脈を突破するも、先鋒部隊の第33師団が停滞したため本連隊は立ち往生する
- 7月7日 - 1週間の絶食状態が続いたのちに退却命令が下る
- 11月 - ウントー北方に集結
- 1945年(昭和20 年)
- 1月 - イラワジ会戦に参加
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
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第一次 | |||||
1 | 中野広 | 1905.4.15 - | 中佐 | ||
2 | 河村光治 | 1906.3.24 - 1906.9.20 | 中佐 | ||
3 | 横山新治 | 1906.9.20 - 1908.8.22 | 中佐、大佐昇進、死去 | ||
4 | 志波今朝一 | 1908.9.12 - 1910.11.30 | |||
5 | 山梨半造 | 1910.11.30 - 1911.9.6 | |||
6 | 柳下重勝 | 1911.9.6 - 1913.8.22 | |||
7 | 吉野文四郎 | 1913.8.22 - 1916.8.18 | |||
8 | 竹上常三郎 | 1916.8.18 - | |||
9 | 岡田誠道 | 1918.1.18 - | |||
10 | 石原周信 | 1921.7.20 - 1922.8.15[2] | |||
11 | 深見新之助 | 1922.8.15[2] - 1923.8.6[3] | |||
12 | 小磯國昭 | 1923.8.6 - 1925.5.1 | |||
第二次 | |||||
1 | 池田廉二 | 1938.7.16 - | |||
2 | 斎藤春麿 | 1940.8.1 - | |||
3 | 尾本喜三雄 | 1941.5.16 - | |||
4 | 折田一雄 | 1944.10.14 - 1945.2.18 | 戦死 | ||
5 | 上田孝 | 1945.3.1 - 3.21 | 中佐、戦死 | ||
末 | 山内清之 | 1945.4.7 - | 中佐 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』