コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

歩兵第51連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第51連隊
創設 1905年3月
廃止 1925年5月
再編成 1938年4月
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 名古屋 - / 京都
通称号/略称 祭7370
上級単位 第13師団 - 第3師団 / 第15師団
最終位置 タイ王国 カーンチャナブリー県ワンポウ
戦歴 日露 - 日中 - 第二次世界大戦
テンプレートを表示

歩兵第51連隊(ほへいだい51れんたい、歩兵第五十一聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

[編集]
3月 - 編成下令
4月15日 - 軍旗拝受
7月 - 樺太に派遣
4月4日 - 拡大する戦局に対応するため、第15師団と共に隷下部隊として再編成される
8月 - 華中に派遣、江蘇省各地に駐屯、漢口の戦いなどに参加
11月12日 - 江蘇省容県城の警備に就く
3月 - 鎮江に移駐、同地の警備に就く
6月 - ビルマ方面に移動、インパール作戦に参加するため急ぐが、輸送上の問題により遅れる
2月 - レウに集結完了
3月15日 - チンドウィン川を渡河
3月17日 - 国境を突破、インドに進入する
4月1日 - アラカン山脈を突破するも、先鋒部隊の第33師団が停滞したため本連隊は立ち往生する
7月7日 - 1週間の絶食状態が続いたのちに退却命令が下る
11月 - ウントー北方に集結
1月 - イラワジ会戦に参加
8月 - 終戦

歴代連隊長

[編集]
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
第一次
1 中野広 1905.4.15 - 中佐
2 河村光治 1906.3.24 - 1906.9.20 中佐
3 横山新治 1906.9.20 - 1908.8.22 中佐、大佐昇進、死去
4 志波今朝一 1908.9.12 - 1910.11.30
5 山梨半造 1910.11.30 - 1911.9.6
6 柳下重勝 1911.9.6 - 1913.8.22
7 吉野文四郎 1913.8.22 - 1916.8.18
8 竹上常三郎 1916.8.18 -
9 岡田誠道 1918.1.18 -
10 石原周信 1921.7.20 - 1922.8.15[2]
11 深見新之助 1922.8.15[2] - 1923.8.6[3]
12 小磯國昭 1923.8.6 - 1925.5.1
第二次
1 池田廉二 1938.7.16 -
2 斎藤春麿 1940.8.1 -
3 尾本喜三雄 1941.5.16 -
4 折田一雄 1944.10.14 - 1945.2.18 戦死
5 上田孝 1945.3.1 - 3.21 中佐、戦死
山内清之 1945.4.7 - 中佐

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第7621号、明治41年11月19日。
  2. ^ a b 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
  3. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。

参考文献

[編集]
  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目

[編集]