歩兵第56連隊
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歩兵第56連隊 | |
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創設 | 1905年 |
廃止 | 1925年5月 |
再編成 | 1937年7月 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 熊本 - 久留米 |
通称号/略称 | 菊8903 |
上級単位 | 第14師団 - 第18師団 / 第18師団 |
最終位置 | 英領ビルマ ラングーン東北 |
戦歴 | 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第56連隊(ほへいだい56れんたい、歩兵第五十六聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1905年(明治38年)
- 4月 - 動員下令
- 6月13日 - 軍旗拝受
- 1907年(明治40年)10月 - 第14師団から第18師団へ所属変更、衛戍地は久留米となり転営
- 1908年(明治41年)11月10日 - 福岡県三井郡国分村に移転[1]。
- 1914年(大正3年) - 青島の戦いに参加
- 1925年(大正14年)5月1日 - 宇垣軍縮により本連隊は廃止
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)10月 - バイアス湾上陸作戦に参加、華南各地で戦う
- 1941年(昭和16年)12月8日 - コタバルに上陸、マレー作戦に参加
- 1942年(昭和17年)4月 - ビルマに移動、マンダレーやシャン州を経由してメイミョウに到着、同地の警備に就く
- 1943年(昭和18年)
- 3月 - イギリス軍ウィンゲート空挺旅団の侵入に対処
- 10月 - ウ号作戦、九号作戦に参加
- 1944年(昭和19年)
- 6月 - 第一次断作戦に参加
- 1945年(昭和20 年)
- 2月 - フーコンやメイクテーラの戦いなどに参加、以後はシッタン方面へ移動しニャンカン付近で防戦に努める
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
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第一次 | |||||
1 | 菊地主殿 | 1905.4.17 - 1907.2.13 | |||
2 | 田上他二郎 | 1907.2.13 - 1911.9.6 | 中佐、大佐昇進 | ||
3 | 岡村勝三郎 | 1911.9.6 - 1913.8.22 | |||
4 | 加藤豊三郎 | 1913.8.22 - 1916.4.1 | |||
5 | 畑英太郎 | 1916.4.1 - 1918.7.24[2] | |||
6 | 木下文次 | 1918.7.24 - 1919.7.25 | |||
7 | 坂初枝 | 1919.7.25 - | |||
8 | 廻健介 | 1921.7.20 - | |||
9 | 柴田繁枝 | 1923.8.6 - 1915.5.1 | |||
第二次 | |||||
1 | 藤山三郎 | 1937.9.10 - | 中佐 | ||
2 | 馬淵久之助 | 1938.12.10 - | |||
3 | 野溝弐彦 | 1939.5.19 - | |||
4 | 榊徳雄 | 1940.8.1 - | |||
5 | 那須義雄 | 1941.10.15 - | |||
6 | 藤村益蔵 | 1942.2.18 - | |||
7 | 長久竹郎 | 1943.3.1 - | |||
8 | 藤村義明 | 1944.11.7 - | 中佐 | ||
9 | 生田藤一 | 1945.4.27 - | 中佐 | ||
末 | 佐藤又三郎 | 1945.5.31 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』