歩兵第65連隊
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歩兵第65連隊 | |
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創設 | 1907年 |
廃止 | 1925年 |
再編成 | 1937年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 会津若松 |
通称号/略称 | 鏡6805 |
上級単位 | 第2師団 / 第13師団 |
最終位置 | 湖南省 衡陽市 |
戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第65連隊(ほへいだい65れんたい、歩兵第六十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)
- 5月9日 - 宮城野練兵場にて軍旗拝受
- 1910年(明治43年)4月 - 韓国駐剳、龍山に駐屯
- 1925年(大正14年)5月1日 - 宇垣軍縮により廃止される
- 1937年(昭和12年)
- 1939年(昭和14年) - 襄東作戦に参加
- 1940年(昭和15年)5月 - 宜昌作戦などに参加
- 1941年(昭和16年)9月 - 第二次長沙作戦に参加
- 1942年(昭和17年) - 湖北省各地で作戦する
- 1944年(昭和19年)4月 - 大陸打通作戦
1944年(昭和19年)12月 - 第一大隊長田畑清久大尉(少尉候補者第15期、歩兵第3連隊附少尉で相沢三郎中佐処刑時の銃手)が戦死[2]。
- 1945年(昭和20年)
- 5月 - 戦線縮小のため揚子江沿岸まで反転
- 8月 - 終戦
- 8月26日 - 軍旗奉焼
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
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第一次 | |||||
1 | 飯島亀 | 1907.10.22 - 1910.7.14 | 中佐、大佐昇進 | ||
2 | 大島新 | 1910.7.14 - 1913.8.22 | |||
3 | 山内正生 | 1913.8.22 - | 中佐 | ||
4 | 平田豊三郎 | 1918.7.24 - | |||
5 | 井上璞 | 1922.8.15 - 1925.5.1 | |||
第二次 | |||||
1 | 両角業作 | 1937.9.10 - | |||
2 | 吉田弘 | 1938.12.10 - | |||
3 | 立花芳夫 | 1939.10.2 - | |||
4 | 桜井徳太郎 | 1942.8.1 - | |||
5 | 伊藤義彦 | 1943.8.2 - | |||
末 | 服部卓四郎 | 1945.2.12 - |
脚注
[編集]- ^ 『官報』第7310号、明治40年11月8日。
- ^ http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/06onketsu/O_06_298_1.pdf
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。