歴谿卿
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歴谿卿 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 역계경 |
漢字: | 歴谿卿 |
日本語読み: | れきけいきょう |
歴谿卿(れきけいきょう、역계경、生没年不詳)は、衛氏朝鮮の政治家。衛氏朝鮮の高位職を務めていたと推定される[1]。
『魏志』韓条は、衛右渠と葛藤が発生したことにより、2000余戸を率いて辰国に南下したと伝えている。南下した時期は、漢が衛氏朝鮮を服属させるために紀元前109年から紀元前108年にかけて遠征を行う以前であり、紀元前2世紀後葉と判断される[1]。
その後、歴谿卿は先住民との摩擦を回避し、弁韓・辰韓と同化したと判断される[1]。
『三国史記』巻一に「これより先に朝鮮流民が山と谷の合間に住んで、六村をなす」とあるが、言及された朝鮮流民は歴谿卿一派を指すとみられる[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 安海成 (2005年6月). “三韓時代韓半島南部と東アジア社会の変動” (PDF). 長崎県埋蔵文化財センター. p. 26-27. オリジナルの2022年5月16日時点におけるアーカイブ。
参考文献
[編集]- “역계경(歷谿卿)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年9月15日時点におけるアーカイブ。