与那国町立比川小学校
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与那国町立比川小学校 | |
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北緯24度26分34.22秒 東経122度58分56.41秒 / 北緯24.4428389度 東経122.9823361度座標: 北緯24度26分34.22秒 東経122度58分56.41秒 / 北緯24.4428389度 東経122.9823361度 | |
過去の名称 |
与那国尋常小学校髭川分教場 与那国尋常高等小学校髭川分教場 与那国尋常小学校髭川分教場 与那国国民学校髭川分教場 髭川国民学校 髭川初等学校 与那国町立髭川小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 八重山村(1908年 - 1914年)与那国町(1914年 - ) |
設立年月日 | 1901年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
本校 |
与那国国民学校(1944年独立) 1901年 - 1944年 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B147238200031 |
校地面積 | 3,445 m2[1] |
校舎面積 | 1,276 m2[1] |
所在地 | 〒907-1801 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
与那国町立比川小学校(よなぐにちょうりつ ひがわしょうがっこう)は、沖縄県八重山郡与那国町にある公立小学校。
概要
[編集]学校は日本最西端の島、与那国島にあり、南側に比川浜、北側に宇良部山系が迫る海と山に囲まれた地域に位置する。
沿革
[編集]- 1901年(明治34年)4月 - 「与那国尋常小学校髭川分教場」として開校[2][3]。
- 1904年(明治37年)5月9日 - 「与那国尋常高等小学校髭川分教場」に改称[4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 「与那国尋常小学校髭川分教場」に改称[4]。
- 1909年(明治42年) - 与那国322-5番地の掘立小屋で授業を開始[5]。
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年) - 与那国355-2番地に15坪の新校舎を落成し、移転[5]。
- 1919年(大正8年)7月18日 - 与那国3031番地に新校舎を落成し、移転[4][5]。
- 1929年(昭和4年) - 尋常科5・6年学級を設置[5]。
- 1933年(昭和8年) - 給食堂を設置し、給食を開始[5]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「与那国国民学校髭川分教場」に改称[4]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 「髭川国民学校」として独立[4]。
- 1946年(昭和21年) - 「髭川初等学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)10月20日 - 校歌を制定(作詞:伊波南哲、作曲:外間永律)[3][6]。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 学制改革に伴い、「与那国町立髭川小学校」に改称。
- 1951年(昭和26年) - 「与那国町立比川小学校」に改称。ミルク給食を開始[5]。
- 1953年(昭和28年)7月 - 台風4号(キット台風)により校舎が全壊[5]。
- 1956年(昭和31年) - 台風により校舎が全壊。民家へ学校機能を移転[5]。
- 1958年(昭和33年) - 仮校舎を落成。鉄筋コンクリート造の新校舎を落成[5]。
- 1959年(昭和34年) - パン給食を開始[5]。
- 1960年(昭和35年) - 台風8号(シャーリー台風)により甚大な被害を受ける[5]。
- 1968年(昭和43年)
- 1975年(昭和50年) - 給食を開始[5]。
- 1978年(昭和53年)3月 - 体育館を落成[7]。
- 1984年(昭和59年) - 台風とそれに伴う高潮により、甚大な被害を受ける[5]。
- 1988年(昭和63年) - 礼文町立須古須小学校と姉妹校を締結(1999年まで)[5][8]。
- 1988年度(昭和63年度) - 新校舎を落成[1]。
- 1989年度(平成元年度) - 教員住宅を設置[1]。
- 1994年(平成6年)8月 - 台風13号により甚大な被害を受ける[5]。
- 1995年(平成7年) - 体育館落成記念式典と祝賀会を開催[5]。
- 2007年(平成19年) - 第5回全日本小学校ホームページ大賞(J-KIDS大賞)にて優秀校に選定[9][5]。
- 2008年(平成20年) - 第6回全日本小学校ホームページ大賞にて優秀賞に選定[10][5]。
施設概要
[編集]主な施設。面積は延床面積を記載。
児童・学級数
[編集]2023年度の学年別児童数と学級数[11]。
学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 特別支援 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
児童数 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1 | 7 |
学級数 | 0 | 0 | 0.5 | 0 | 0.5 | 0 | 1 | 2 |
- 学級数「0.5」は、複式学級を表す。
アクセス
[編集]- 「比川」バス停(与那国町生活路線バス)から徒歩で約1分(約70m)
周辺
[編集]- 与那国町立ひがわ幼稚園 - 同一敷地内[1]で、かつ進級前幼稚園。
- 沖縄県道216号与那国島線
- 比川地域共同売店
- 与那国町比川公民館(多目的集会施設)
- 与那国町離島振興総合センター
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g “与那国町公共施設等総合管理計画(改訂版)”. 与那国町. p. 52 (2022年3月). 2024年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月26日閲覧。
- ^ 「東アジア社会教育研究」編集委員会(編)「与那国町の歩み」『東アジア社会教育研究』第3号、1998年9月18日、141頁、doi:10.11501/4428730、ISSN 1348-7272。
- ^ a b 「校歌探訪 与那国町立比川小学校」『琉球新報』2018年7月1日。オリジナルの2024年4月25日時点におけるアーカイブ。2024年4月25日閲覧。
- ^ a b c d e f “与那国小学校沿革”. 与那国町立与那国小学校. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “学校の歴史”. 与那国町立比川小学校. 2013年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月25日閲覧。
- ^ a b “学校の紹介”. 与那国町立比川小学校. 与那国町. 2024年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月25日閲覧。
- ^ 沖縄市町村三十年史編集委員会 編『沖縄市町村三十年史 下巻 戦後市町村の歩み』沖縄市町村三十年史発行委員会、1982年11月5日、856頁。doi:10.11501/9774633。
- ^ 全国町村議会議長会(編)「最北端・最南端で姉妹縁組」『議員研修誌 地方議会人』第20巻第12号、中央文化社、1990年5月1日、64頁、doi:10.11501/2764382、ISSN 2188-3793。
- ^ “地図で見る選考結果 都道府県代表校・都道府県優秀校 - 沖縄県”. J-KIDS大賞2007. J-KIDS大賞実行委員会. 2011年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月26日閲覧。
- ^ “地図で見る選考結果 都道府県代表校・都道府県優秀校”. J-KIDS大賞2008. J-KIDS大賞実行委員会. 2021年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月26日閲覧。
- ^ “与那国町立比川小学校 - 学年別の児童数・学級数”. 学校教育情報サイトGaccom. ガッコム. 2024年4月26日閲覧。