毛里保太郎
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毛里 保太郎(もうり やすたろう、文久4年2月6日[1](1864年3月13日) - 昭和13年(1938年)5月13日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]豊前国築城郡角田村(現在の福岡県豊前市)出身。15歳で京都に遊学した後、中江兆民の門で学んだ[1]。1888年(明治21年)より京都日報の記者となり、1891年(明治24年)には静岡大勢新聞の主筆となった[1]。翌年、門司新報社を起こして社長・主筆を務めた。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で4期務めた。また門司市会議員、同参事会員も務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。