水上一久
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水上 一久(みずかみ いちきゅう、1912年3月14日 - 1962年4月12日[1])は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。
経歴
[編集]石川県金沢市生まれ。1932年第四高等学校文科甲類卒業[2]、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業[3]。卒業論文は「荘園制の崩壊より見たる中世の東寺領」[4]。
1935年鹿児島県史編纂委員[5]、1943年立命館大学文学部教授を経て、1945年第四高等学校講師、1946年同校教授、1950年金沢高等師範学校教授、1952年金沢大学法文学部助教授、1958年同教授。
参考文献
[編集]- 署名なし「水上一久教授略歴・水上一久教授主要論文目録」『北陸史学』11・12、北陸史学会、1963年、76頁。
- 署名無し「学会動向」『日本歴史』第166号、吉川弘文館、1962年、111頁。
- 〔日本歴史地理学会〕「各大学史学科卒業論文題目(一)」『歴史地理(日本歴史地理学会編集)』第65巻第3号、地人書館、1935年、112-115頁、NCID AN00254866。
脚注
[編集]- ^ 署名無し 1962
- ^ 第四高等学校編『第四高等学校一覧 昭和7年4月至昭和8年3月』第四高等学校、1932年、p.287
- ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1939年、p.341
- ^ 〔日本歴史地理学会〕 1935
- ^ 鹿児島県 編「附録 鹿兒島縣史編纂沿革槪要」『鹿児島県史 別巻』鹿児島県、1943年、1-17頁。NDLJP:1239983/154。