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水之江浩

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水之江浩

水之江 浩(みずのえ ひろし[1]1845年6月29日(弘化2年5月25日[2])- 1922年大正11年)4月11日[1][3])は、明治期の地主実業家政治家貴族院多額納税者議員[1]。旧姓・佐藤。

経歴

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豊前国宇佐郡日足村[4]大分県宇佐郡北馬城村宇佐町を経て現宇佐市)に佐藤継信(楽山)の五男として生まれ、1856年6月(安政3年5月)に宇佐郡水崎村[4](宇佐郡封戸村を経て現豊後高田市)の素封家・水之江家43代・久衛(号・奇峰[4])の婿養子となる[2][4][5]。1871年(明治4年7月)家督を相続した[2]

家業の製塩業を営む[4]。養父の遺志を継いで溜池の築造を継続して耕地の拡大に尽力[4][5]。また、小学校校舎の建築、道路・橋梁の整備などにも多額の寄付を行った[4][5]。長らく中絶していた宇佐神宮放生会を1900年(明治33年)[注 1]に再興を実現した[4][5]

1881年(明治14年)大分県学務委員に就任[3]帝国議会開設に伴い1890年(明治23年)の初回貴族院多額納税者議員選挙で互選され[4]、同年9月29日[6]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[3]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『大分県実業家伝』21頁では明治13年。

出典

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  1. ^ a b c 『議会制度七十年史 第1』多額納税者議員215頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月20日閲覧。
  2. ^ a b c 「水ノ江浩」『大正人名辞典 第3版』1088頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』223頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『大分県歴史人物事典』479頁。
  5. ^ a b c d 『大分県実業家伝』19-21頁。
  6. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 『大分県実業家伝』臼杵新聞支社、1918年。
  • 衆議院、議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。