水府系纂
表示
『水府系纂』(すいふけいさん)は、水戸藩の藩士の系譜を収録した史料である。収録の基準としては御目見以上(藩主と直接会える身分)とされている。
概略
[編集]目録所載の序文によると『水府系纂』は延宝6年(1678年)に徳川光圀が山縣元䌫に命じて編纂させた『水城実録』をもとにして、元禄14年(1701年)に徳川綱條が佐野郷成に命じて編纂が開始され、享保2年(1717年)に60巻が成立したという。その後も彰考館員によって幕末まで書き継がれて行き、最終的に慶応3年(1867年)に正編92巻、目録2巻、附録4巻となった [1] 。このうち、第25、46、47、49、55、56、57、58、59巻は上下2冊、第60巻は上中下3冊で構成されている(正編合計103冊)。
内容は、水戸徳川家初代の頼房に最初に付された家臣である「慶長年中奉仕於伏見之輩」を冒頭(第1、2巻)に置き、以降、出仕した年号順に藩士各家の系図、歴代当主の履歴などが記載されている。
また、『水府系纂附録』4巻は、天保3年(1832年)に徳川斉昭が頼房・光圀の時代から連綿と奉仕している郷士、手代、同心、中間、諸細工人、水主方などの系譜を本編に准じてまとめさせたものだという[2]。
原本は徳川ミュージアムが所蔵し非公開である。茨城県立歴史館において複写版を閲覧することができるが、複写版は「嘉永年中奉仕之輩」を収める第88巻までの97冊と目録2巻、附録1巻である[3]。なお、第58巻上と第61巻は欠本となっている。
欠本掲載の諸家
[編集]欠本掲載の諸家
※ 『水府系纂総目録』によって各家の初代のみ記す。イロハ順。△は絶家。
第58巻上
- 荷見茂衛門守之
- △初山与左衛門収重
- △本多諤衛門武貞
- 別所左兵衛範治(分家有り)
- 茅根如水伴通
- △大岡三大夫信就
- 吉見軍次直久(分家有り)
- 高橋伝衛門友清
- 高橋文蔵輔従
- △高田徳左衛門重勝
- 津田権太左衛門長照(分家有り)
- 武藤喜左衛門正勝
- 山川源兵衛正方
- △小泉山出信勝
- 宮井道先俊昌(分家有り)
- 平野七五郎勝彜(分家有り)
- △介川伝衛門君道
第61巻
- △石川七郎衛門昌言
- △西野松衛門泰定
- △富岡次郎衛門正利
- △舎練平内正之
- △小野崎喜衛門武時
- △小澤金衛門正直
- △大森所衛門周重
- △渡邉右衛門八程香
- △河野勝次郎通経
- 柏喜大夫正武
- △勝山善十郎昌隆
- 吉見定之進正方
- 吉富慶雲安信
- 依田喜左衛門處安(分家有り)
- △田山清衛門秀貞
- △武山孫左衛門某
- 高岡与兵衛清重
- 瀧口吉介利重
- △曽根吉衛門習
- △間々田道達勝之
- 近藤清四郎胤景(分家有り)
- 近藤喜衛門忠貞
- 小田部小流守久(分家有り)
- 小松崎伝六重貞(分家有り)
- 佐久間立斎高方(分家有り)
- △北原平大夫安蕃
- △箕川左介通信
- △進藤平七行済
目録未掲載の諸家
[編集]第88巻所載の諸家
附録所載の諸家
※ 茨城県立歴史館蔵複写版による。掲載順。
- 稲田新衛門定安
- 小野総衛門某
- 海老澤清左衛門某
- 山野才蔵某
- 佐藤権左衛門某
- 田口茂兵衛某
- 川野辺羽衛門晴忠
- 飯田佐衛門某
- 小泉治兵衛某
- 山崎弥五左衛門某
- 飯村武助宗儀
- 長谷川全六某
- 大関瀧衛門某
- 梶山秋衛門近邦
- 鈴木兵左衛門某
- 飯塚勝衛門直晴
- 大山与四郎某
- 大森小田衛門某
- 柏文大夫某
- 長瀬平内某
- 北條又衛門某
- 野村吉左衛門重正
- 高野藤衛門重則
- 稲田重三郎定広
- 矢島友衛門某
- 猪野八兵衛某
- 会澤仲衛門重則
- 大久保十助某
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清水正健『増補 水戸の文籍』水戸の学風普及会、1934年7月15日。
外部リンク
[編集]- 茨城県立歴史館
- 徳川ミュージアム
- 『水府系纂』目録 - 第88巻の途中までの目録(個人サイト)
- 『水府系纂総目録』 - 第76巻までの目録(新日本古典籍総合データベース)
- 『水府系纂脱漏』 - 『水府系纂』への記載漏れの藩士の経歴及び水戸藩お抱えの能役者の系図(新日本古典籍総合データベース)
- 『旧水戸県士族官林地所払下処分』 - 明治8年(1875年)に官林の払い下げを受けた旧水戸藩士1593名の名簿(一部に誤字がある)(国立公文書館デジタルアーカイブ)
- 『元水戸県士族授産ノ為メ官林払下処分ノ儀伺』 - 同上(上と比べて誤字が少ない)(国立公文書館デジタルアーカイブ)