水月文英
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水月 文英(みづき ぶんえい、1885年4月1日[1] - 1971年12月21日[2])は、日本の教育者。筑紫女学園理事長。
経歴・人物
[編集]馬奈木文次郎の長男として福岡市に生まれる。旧姓名は馬奈木文助。筑紫女学園創立者水月哲英の養子となり水月文英と改名[1]。1904年福岡県立中学修猷館[3]、1907年7月第一高等学校文科[4]を経て、1910年7月東京帝国大学文科大学哲学科(宗教学)を卒業[5]。
1912年私立筑紫高等女学校(現・筑紫女学園高等学校)教諭となり[1]、1915年同主席教諭、1923年同副校長を経て[6]、1946年同校長に就任。1951年学校法人筑紫女学園が設立されるとその理事長に就任。1965年筑紫女学園短期大学を創設し、初代学長に就任[1]。
日本私立中学高等学校連合会常任理事、九州地区私立中学高等学校協議会会長、福岡県私立中学高等学校協会会長、福岡県私学教育振興会理事長、福岡県私立学校審議会委員長、全国私立学校審議会連合会副会長などを歴任した[1]。
1970年名誉校長となり、1971年12月21日死去。同年12月28日学園葬が営まれた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録第24版』(人事興信所、1968年) ミ-82頁
- ^ a b 「第8回百年の飛翔を訪ねて」筑紫女学園報 No.51(2003年9月)(2023年4月8日閲覧)
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員5頁
- ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校、1941年)123頁(「馬奈木文助」として記載)
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名241頁
- ^ 「第2回百年の飛翔を訪ねて」筑紫女学園報 No.45(2001年9月)(2023年4月8日閲覧)