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水無瀬兼俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
水無瀬 兼俊
時代 江戸時代
生誕 1593年9月25日文禄2年9月1日
死没 1656年1月27日明暦2年1月1日[1]
官位 従二位権中納言
主君 後陽成天皇後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 水無瀬家
父母 父:水無瀬氏成、母:高倉永相の娘
兄弟 兼俊、七条隆脩
福島正則の娘
兼祐、氏信、町尻具英、桜井兼里、通悊、長成、兼豊、右衛門佐局
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水無瀬 兼俊(みなせ かねとし)は、江戸時代公家公卿権中納言

生涯

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権中納言である水無瀬氏成とその正室である高倉永相の娘の子として生まれる[2]1628年2月10日寛永5年1月6日)に叙従三位[3]1640年寛永17年)に従二位[1]

1656年1月27日明暦2年1月1日)、死去。享年64。筆跡は『慶安手鑑』に見られる[4]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 公卿補任
  2. ^ 『新撰大人名辭典』(平凡社1937年
  3. ^ 『王朝貴族の婚姻と家族』(システムファイブ、2006年
  4. ^ 『公卿人名大事典』(日外アソシエーツ1994年
  5. ^ 大奥女中で娘という説がある。氏信の娘ともされる。