水無瀬兼俊
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1593年9月25日(文禄2年9月1日) |
死没 | 1656年1月27日(明暦2年1月1日)[1] |
官位 | 従二位、権中納言 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇 |
氏族 | 水無瀬家 |
父母 | 父:水無瀬氏成、母:高倉永相の娘 |
兄弟 | 兼俊、七条隆脩 |
妻 | 福島正則の娘 |
子 | 兼祐、氏信、町尻具英、桜井兼里、通悊、長成、兼豊、右衛門佐局 |
水無瀬 兼俊(みなせ かねとし)は、江戸時代の公家、公卿。権中納言。
生涯
[編集]権中納言である水無瀬氏成とその正室である高倉永相の娘の子として生まれる[2]。1628年2月10日(寛永5年1月6日)に叙従三位[3]、1640年(寛永17年)に従二位[1]。
1656年1月27日(明暦2年1月1日)、死去。享年64。筆跡は『慶安手鑑』に見られる[4]。