水野忠位
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明暦元年(1655年) |
死没 | 正徳3年7月19日(1713年9月8日) |
別名 | 左近、宮内(通称) |
墓所 | 東京都文京区小石川の伝通院 |
官位 | 従五位下、肥前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国・丹波国・摂津国内 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野忠増、母:土屋利直の娘 |
妻 |
正室:池田政武の養女(池田政直の娘) 継室:姉小路公章の娘 |
子 |
娘(水野忠定正室) 養子:忠房、水野忠定 |
水野 忠位(みずの ただたか)は、江戸時代前期から中期の旗本、大名。忠位系水野家初代。
生涯
[編集]信濃に5000石、丹波に2000石を知行した大身旗本・水野忠増(松本藩水野忠清の四男)の長男として生まれる。元禄7年(1694年)、父の隠居により家督を相続した。側衆を経て、正徳元年(1711年)に大坂定番となる。この時、摂津(島上郡・島下郡・豊島郡)に5,000石を加増されて1万2000石を領する大名となる。正徳3年(1713年)死去。養子の忠房が前年に早世していたため、桑名藩久松松平家から忠定を婿養子に迎えて家督を継がせた。
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