水野忠隣
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水野 忠隣(みずの ただちか、享保20年(1735年) - 安永7年5月9日(1778年6月3日))は、江戸時代中期の旗本。旗本水野忠照の次男。通称は勝五郎。室は水野忠穀(忠照の弟)の娘。
父の家督を継いでいた兄の忠卿が宝暦元年(1751年)に18歳で早世したため、宝暦2年(1752年)3月6日家督を相続し、同月18日、将軍徳川家重に拝謁する。宝暦3年(1754年)12月14日中奥の番士となり、明和2年(1765年)6月15日小十人頭に転ずる。明和7年(1770年)3月16日新番頭に移り、安永5年(1776年)将軍徳川家治の日光東照宮参詣に供奉する。
安永7年(1778年)没する。享年44。法名は利廓。
旗本岡野知暁の次男(吉太郎、後の水野忠成)を養子とするが、宗家の水野忠友の養子に転じ沼津藩主を継承したため、忠成の次男である忠紹(午之助)が、采地の信濃国佐久郡2000石(根々井知行所)を相続。その後は忠寛(旗本から沼津藩主を継ぐ)、忠明(出仕せず)、忠敬(旗本から沼津藩主を継ぐ)、忠善(春四郎)と続いて明治維新を迎えた。
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第331」
- 沼津市立駿河図書館編「御代々略記 沼津藩水野家年代記」