永井四郎
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永井 四郎(ながい しろう、1892年(明治25年)5月 - 没年不詳)は、日本の拓務官僚、関東州官僚。
経歴
[編集]富山県出身。1916年(大正5年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[1]。税務監督局属・大蔵省臨時調査局属、副司税官・長崎税務署長、司税官・神戸税務署長、税務監督局事務官・広島税務監督局経理部長、熊本税務監督局経理部長、仙台税務監督局間税部長、名古屋税務監督局直税部長、東京税務監督局直税部長を歴任[2]。1929年(昭和4年)、拓務書記官・外務書記官・朝鮮部第二課長に転じ、さらに大臣官房文書課長を務めた[2]。1932年(昭和7年)からは関東庁勅任事務官・大連民政署長・関東庁専売局長を務めた[2]。
その後、満州国の招聘で、竜江省公署理事官・総務庁長に就任した[2]。退官後、吉林人造石油株式会社常務・総務部長、満洲鴨緑江水力発電株式会社監事、朝鮮鴨緑江水力発電株式会社監事を務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 大衆人事録 1943.
- ^ a b c d 人事興信録 1939.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。