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永原子伊太比

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永原 子伊太比(ながはら の こいたび、? - 承和2年5月13日835年6月12日〉)は、平安時代初期の女官氏姓藤原朝臣、のち永原朝臣官位典侍正四位。兄弟に永原最弟麻呂がいる。

生涯

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平城朝大同3年(808年)12月、従五位上の時に姉妹と思われる恵子と同時に永原朝臣を賜姓されている[1]。その翌年の大同4年(809年)には、東山道観察使正四位兼行右衛士督陸奥出羽按察使藤原緒嗣が辺境の任につくべく内裏へ暇乞いをした際に、天皇は緒嗣を昇殿させ、典侍従五位上の子伊太比を仲介して衣1襲と被(かずき)などを下賜したと記されている[2]。その後、正五位下に昇進し、さらに薬子の変直後の弘仁元年(810年)9月に従四位下に昇叙[3]

承和2年(835年)5月、正四位下で卒去[4]

官歴

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六国史』による

脚注

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  1. ^ 『日本後紀』巻第十七、平城天皇 大同3年12月9日条
  2. ^ 『日本後紀』巻第十七、平城天皇 大同4年3月23日条
  3. ^ 『日本後紀』巻第二十、嵯峨天皇 弘仁元年9月25日条
  4. ^ 『続日本後紀』巻四、承和2年5月13日条

参考文献

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  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』中巻、講談社講談社学術文庫〉、2006年。
  • 森田悌『続日本後紀 全現代語訳』上巻、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年。