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永末恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永末 恵子(ながすえ けいこ、1954年2月15日 - 2016年2月19日)は、俳人広島県生。現代詩、短歌の制作期を経て、1988年より句作をはじめ「白燕」に入会、橋閒石に師事する。2003年「白燕」退会、以後無所属で作句。句集に『発色』『留守』『借景』『ゆらのとを』がある。

著書

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  • 歌集『くるる』七月堂、1989年
  • 句集『発色』白燕発行所、1991年
  • 句集『留守』航跡舎、1997年
  • 句集『借景』航跡舎、1999年
  • 句集『ゆらのとを』ふらんす堂、2003年

評価

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池田澄子は永末の訃報に際して「彼女の俳句との交わりの深さと言ったら、俳人の誰とも比較のできない清潔で濃いものだった。だから永末恵子のファンは多い。しかし、俳壇に名を馳せるといった俳人ではなかった。其処には彼女の興味も関心も、勿論、意欲もなかった。それは本当に彼女が、俳句に自身を賭けていたからだ。俳句はお仕事ではなく、俳句の先生になるのではなく、だから、俳句のためには必要な人だった。その人の逝去は勿体ないにも程がある」と評した[1]

脚注

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  1. ^ 池田澄子「永末恵子がこの世に居ない」『ふらんす堂通信』、2016年 #148[要文献特定詳細情報]

参考文献

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  • 宇多喜代子 『戦後生まれの俳人たち』毎日新聞社、2012年

外部リンク

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