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永田龍雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永田 龍雄
生誕 (1890-09-20) 1890年9月20日[1]
東京[1]
死没 (1965-09-29) 1965年9月29日(75歳没)[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京外国語学校[1]
職業 歌人、舞踊批評家
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永田 龍雄(ながた たつお、1890年明治23年〉9月20日 - 1965年昭和40年〉9月29日[1])は、日本の舞踊批評家[1]歌人

来歴

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1910年、東京外国語学校英語科を卒業する[1]村井吉兵衛の秘書を務めたのち1921年大正10年)に帝国劇場文芸部に入り、関東大震災での解散までそこに勤めた[1]。部の解散後、舞踊批評家に転身する[1]

時事新報の嘱託も務め、西洋舞踊や邦楽の批評を執筆し[1]、村松道弥らと音楽新聞も創刊した。西欧舞踊の黎明期から晩年まで多くの批評を残し、印象批評と独自な見解に定評がある。

スペイン語の永田寛定、詩人の永田助太郎を親族に持つ[要出典]

著作

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  • 永田龍雄 編『雛乃名殘』1917年12月。doi:10.11501/926703NCID BA31178714OCLC 703683748全国書誌番号:43000106 
  • エレン・テリイ 著、永田龍雄 訳『露西亜舞踊』敬文館、1921年10月。 NCID BA49932436 
  • 永田龍雄 編『泰西舞踊図説』矢吹高尚堂、1922年6月。doi:10.11501/970428NCID BA42738071OCLC 673990401全国書誌番号:43037564 
  • 永田龍雄『泰西舞踊十二講』内田老鶴圃、1924年7月。doi:10.11501/982269NCID BN09178084OCLC 674250385全国書誌番号:43047060 
  • フランク・テイス 著、永田龍雄 訳『舞踊理論』内田老鶴圃、1924年8月。doi:10.11501/981190NCID BA4452998XOCLC 674224324全国書誌番号:43046038 
  • エレン・テリイ 著、永田龍雄 訳『露西亞舞踊』聚芳閣、1925年2月。doi:10.11501/1017274NCID BN10535917OCLC 674301225全国書誌番号:43049646 
  • 永田龍雄 編『家庭婦人講座 第1編』聚芳閣、1925年。doi:10.11501/1019042OCLC 674330653全国書誌番号:43051165 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 永田 龍雄」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E7%94%B0%20%E9%BE%8D%E9%9B%84コトバンクより2022年9月3日閲覧 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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