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永野勝美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永野勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14日 - 2020年 (令和2年) 11月19日 )は、日本の銀行家。岩手銀行特別常任相談役。2008年(平成20年)旭日小綬章

来歴・人物

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岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業後、岩手銀行入行。

企画、営業担当が長く専務時代は、インターネットバンキングやエリアグループ制の導入を推進する。また、事務開発以外のすべての本部業務を担当した[1]

頭取在任時は、経営企画の経験とアイデアにより融資に慎重な姿勢を転換。2006年(平成18年)3月期には、2期連続の最高益を達成させた[2]

2007年(平成19年)には、高橋真裕に頭取職を禅譲し会長として君臨するも、2頭政治に対して行内から反発が高まり2009年(平成21年)4月、会長を解任され特別常任相談役に退いた[3]

2011年以降、twitter上で主に国際情勢や政治・経済について発言を行っていた。

2020年11月19日死去[4]。85歳没。死没日をもって従五位に叙される[5]

略歴

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  • 1960年(昭和35年)、立教大学経済学部経営学科卒業後、岩手銀行入行
    • 以降、企画部副部長、同部長、庶務部長兼企画部長
  • 1989年(平成元年)、取締役企画部長委嘱
  • 1991年(平成3年)、取締役東京事務所長兼東京支店長委嘱
  • 1993年(平成5年)、常務取締役
  • 1997年(平成9年)、専務取締役
  • 2001年(平成13年)、頭取
  • 2007年(平成19年)、会長、盛岡商工会議所会頭
  • 2009年(平成21年) 
    • 4月、会長を解任。取締役に降格
    • 6月、特別常任相談役
  • 2010年(平成22年)、会頭退任

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 『ニッキン縮刷版 2001年』日本金融通信社 2002年。
  2. ^ 日本経済新聞 2009年4月24日
  3. ^ “岩手銀が永野会長を解任 勇退勧告受け入れられず”. 共同通信. (2009年4月23日). http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042301000190.html 2014年6月11日閲覧。 
  4. ^ 永野勝美氏が死去 元岩手銀行頭取”. 日本経済新聞. 2020年11月24日閲覧。
  5. ^ 『官報』第402号11頁 令和2年12月25日号