永野叢人
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永野 叢人 | |
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生誕 |
1894年3月8日 日本 東京府 |
死没 | 1980年2月9日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
永野 叢人(ながの むらと、1894年(明治27年)3月8日[1] - 1980年(昭和55年)2月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1894年(明治27年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1934年(昭和9年)に陸軍砲工学校教官に就任した[2]。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍砲兵大佐に進級[2]。3月27日に独立混成第2旅団参謀長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。同年12月10日に山砲兵第27連隊長を経て[2]、1940年(昭和15年)3月9日に留守第12師団参謀長を経て[2]、8月10日に第56師団参謀長に転じ[2]、8月25日に陸軍少将に進級[2]。
1941年(昭和16年)に留守第56師団参謀長に転じ[1]、1942年(昭和17年)4月1日に第57砲兵団長[1]、10月13日に第1砲兵司令部附[1]、12月1日に陸軍兵器学校長を歴任[1]。1945年(昭和20年)1月に下関要塞司令官に転じ[1]、4月に陸軍中将に進級[2]。陸軍最後の下関要塞司令官となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。