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永野叢人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永野 叢人
生誕 1894年3月8日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1980-02-09) 1980年2月9日(85歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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永野 叢人(ながの むらと、1894年明治27年)3月8日[1] - 1980年昭和55年)2月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功四級[2]

経歴

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1894年(明治27年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第37期卒業[1]1934年(昭和9年)に陸軍砲工学校教官に就任した[2]1938年(昭和13年)3月1日陸軍砲兵大佐に進級[2]3月27日に独立混成第2旅団参謀長に就任し[2]日中戦争に出動[1]。同年12月10日山砲兵第27連隊長を経て[2]1940年(昭和15年)3月9日留守第12師団参謀長を経て[2]8月10日第56師団参謀長に転じ[2]8月25日に陸軍少将に進級[2]

1941年(昭和16年)に留守第56師団参謀長に転じ[1]1942年(昭和17年)4月1日に第57砲兵団長[1]10月13日に第1砲兵司令部附[1]12月1日陸軍兵器学校長を歴任[1]1945年(昭和20年)1月に下関要塞司令官に転じ[1]、4月に陸軍中将に進級[2]。陸軍最後の下関要塞司令官となった。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 522頁.
  2. ^ a b c d e f g h i 外山 1981, 376頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026