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永野為武

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永野孫柳から転送)
永野 為武
人物情報
生誕 (1910-12-12) 1910年12月12日
日本の旗 日本愛媛県松山市
死没 1994年12月14日(1994-12-14)(84歳没)
出身校 東北帝国大学
学問
研究分野 生物学
研究機関 東北大学
学位 理学博士
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永野 為武(ながの ためたけ、1910年12月12日 - 1994年12月14日[1])は、日本の生物学者俳人としても活動した。東北大学名誉教授。

経歴

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出生から修学期

1910年、愛媛県松山市で生まれた[1]東北帝国大学理学部生物学教室で学び、1933年に卒業。同年、同大学大学院に進学し、動物生理学を専攻した。

生物学者として

1936年3月、大学院を退学し、東北帝国大学理学部副手に採用された。後、講師昇格。

戦後、東北大学教養部、農学部助教授に昇格。1948年、学位論文『Physiological studies on the pigmentary system of Crustacea (甲殻類色素系の生理学的研究)』を東北大学に提出して理学博士号を取得[2]。1949年、東北大学教養部教授に昇格。1964年から1965年まで、教養部長も務めた。1974年に東北大学を定年退官し、名誉教授となった。宮城県教育委員会委員長をつとめた。

委員・役員
  • 東北大学評議員(1948~1954年)
  • 文部省大学入試改善会議委員
  • 内閣東北開発審議会委員
  • 日本動物学会評議員
  • 大学入試改善委員会分科会委員長

受賞・栄典

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俳人として

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  • 「小名木滋」名義で初期には発表している。
  • 「孫柳」の号で『俳句饗宴』を主催した(石崎素城が現在は主催者)。
  • 1992年に俳句饗宴社が立てた句碑「小浜菊 水主(かこ)にはありし 御船歌」が宮城県松島町松島字愛宕裏にある[3]
  • 仙台市立八木山小学校の校歌[4]大崎市立鹿島台中学校の校歌[5]宮城県第二工業高等学校の校歌[6]を作詞している。

著作

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著書

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  • 理論生物学論叢』昭和書房 1943
  • 『科学の衣裳』冨山房 1947
  • トーマス・ハックスリ小伝』生活社(日本叢書) 1947
  • 『小動物物語』広島図書(銀の鈴文庫,社会科学篇) 1950
  • 『生物と環境』三省堂(理科文庫) 1951
  • 『科学の窓』石崎書店 1953
  • 『高校くわしい生物』学術図書出版社 1955
  • 『科学史』三省堂(やさしい科学選集) 1957
  • 『さまざまな視覚の世界』新潮社 1966
  • 『よくわかる生物 旺文社 1966.3
  • 『甘言充巷 <>の社会事評100章』宮城時事新報社 1967
  • 『工学的生物学』文理書院 1969
  • 『動物の“ことば"の秘密』旺文社新書 1970
  • 『動物の行動』(生態学講座 22) 共立出版 1972
  • 宮城県をめぐる「おくのほそ道」の謎解き 徳陽相互銀行 1988

共著編

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  • 『生物の辞典』柘植秀臣谷田専治共編、岩崎書店 1956
  • 『科学なるほどブック』東北出版 1958
  • 『最新生物学概論』猪野俊平共著、三共出版 1961
  • 『新編自然科学概論』本多修郎大内義一共著、理想社 1962
  • 『生活科学概論』内田老鶴圃新社 1966
  • 『英和和英生物学用語辞典』三共出版 1972
  • 『生物科学概論』猪野俊平共著、三共出版 1973

訳書

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文芸に関連する著作

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  • 『樹齢』小名木滋名義 風流陣発行所、1939
  • 『砂時計』句集 永野孫柳 俳句饗宴社(俳句饗宴叢書) 1971
  • 『琳琅館』句集 永野孫柳 俳句饗宴社(俳句饗宴叢書) 1976
  • 『寿林』永野孫柳句集 1980
  • 『新みちのく歳時記』永野孫柳編著 宝文堂出版 1982
  • 『東紅西藍』随筆 俳句饗宴社(俳句饗宴叢書) 1984
  • 『旧山河』永野孫柳句集 俳句饗宴社 1984
  • 『花筐』永野孫柳七部句集 四季画廊 1987

参考

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  • 「永野為武教授略年譜」PDF
  • 『文藝年鑑』1955

脚注

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.410
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 宮城県の句碑・歌碑
  4. ^ 八木山小学校HP・校歌
  5. ^ 鹿島台中学校HP・校歌
  6. ^ 宮城県第二工業高等学校HP・校歌
  7. ^ 1969年版を翻訳