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江川卓 (ロシア文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江川 卓
人物情報
別名 馬場 宏
生誕 (1927-01-24) 1927年1月24日
日本の旗 日本東京都
死没 2001年7月4日(2001-07-04)(74歳没)
出身校 東京大学
学問
研究分野 ロシア文学
研究機関 東京工業大学中京大学
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江川 卓(えがわ たく、1927年1月24日 - 2001年7月4日)は、日本のロシア文学者東京工業大学名誉教授。本名は「馬場 宏(ばば ひろし)」。

経歴

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1927年、ロシア文学研究者・外村史郎の長男として東京都で生まれた。東京府立第十中学校で学ぶ。中学の同期には経営者・詩人の堤清二がいた。第一高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。ロシア語は独学で、終戦後実地で鍛え上げたという[1]

卒業後は東京工業大学助教授に着任。後に同大学教授に昇進。東京工業大学を退任後、名誉教授となった。中京大学教授もつとめた。2001年7月4日午前9時13分、気管支炎のため74歳で逝去した。

受賞

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研究内容・業績

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家族・親族

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ペンネームについて

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ペンネームの「江川卓」は、1953年頃から名乗っている[2][3]。本名と無関係のペンネームを使用したのは、戦後間もない頃のロシア文学に携わっていると共産主義者であると疑われていたような時代に秘密の文学サークルを作って活動していた名残である。 由来は、中国の揚子江で酒を呑んだらうまかろうという思いから[4]

読売ジャイアンツの野球選手だった江川卓(えがわ・すぐる、こちらは本名)と読み方こそ違えど漢字が同じであるため、江川事件の際には巨人の選手と混同した野球ファンから大量の間違い電話がかかってきた[2][3]。間違い電話の内訳は、悪口が3回に対して激励が2回という感じで[2]、同姓同名であるためか悪口も激励も身につまされたという[2]。またこれも偶然であるが、ロシア文学者の江川はプロ野球誕生期からの巨人ファンでもあった[2]

同姓同名の両者は後に「月刊Asahi」誌の企画で対面した[3]。その席上、前述の1978年のドラフトの際に迷惑がかかったことについて、野球の江川卓がロシア文学者の江川卓に謝罪している[3]

著書

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単著

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共編著

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  • 『新しいソビエトの文学(全6巻)』(井上光晴勁草書房) 1967 - 1968
  • 『革命の烽火』(水野忠夫、学芸書林、全集・現代世界文学の発見1) 1969
  • 『社会主義の苦悩と新生』(栗栖継、学芸書林、全集・現代世界文学の発見11) 1970
  • 『ドストエフスキー・アルバム』(原卓也新潮社) 1978
  • 『ドストエフスキーの現在』(亀山郁夫、JCA出版) 1985

訳書

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ドストエフスキー

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  • 罪と罰』(ドストエフスキー旺文社文庫) 1966 - 1967、のち改訳(岩波文庫)全3巻 1999 - 2000、のちワイド版
  • カラマーゾフの兄弟』上・下(ドストエフスキー、集英社、世界文学全集45・46) 1979
  • 地下室の手記』(ドストエフスキー、新潮社、新潮世界文学) 1968、のち新潮文庫 1969、のち新潮社 ドストエフスキー全集6 1969
  • 悪霊』上・下(ドストエフスキー、新潮文庫) 1971、のち新潮社 ドストエフスキー全集11・12 1979

アレクサンドル・ソルジェニーツィン

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脚注

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  1. ^ [新潮文庫 悪霊]、訳者紹介
  2. ^ a b c d e 江川卓(ロシア文学者)、「同姓同名の快」、『現代』第18巻第6号、1984年6月、432-433ページ。
  3. ^ a b c d 染、「同姓&同名① 江川卓さん 野球解説者/ロシア文学者」、『月刊Asahi』第3巻第1号、1991年1月、246ページ。
  4. ^ 朝日新聞東京本社企画報道部編『惜別 忘れ得ぬ人たち』主婦の友社、2003年、p16