江徳
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江徳(こう とく)は、古代中国、紀元前1世紀の前漢の人である。生没年不明。轑陽侯。太常。
始元6年(紀元前81年)、轑陽侯の江徳は太常になった[1]。
4年後の元鳳4年(紀元前77年)5月丁丑に、亡き文帝を祀る廟で郎(役人)が夜に飲んで失火し、廟の正殿が焼けた[2][3]。昭帝と群臣は喪服を着た[3]。中二千石の高官を長に、将作大匠の5人の校が総出で工事して、6日で完成させた[3]。廟の令、丞、郎だけでなく、廟を監督下におく太常も失火の責任を問われ、大不敬として弾劾された。赦にあって許され、江徳は太常を免職され、列侯の爵も奪われて庶人となった[3]。
脚注
[編集]- ^ 『漢書』巻19、百官公卿表、始元6年。
- ^ 『漢書』巻巻19、百官公卿表。本文の「郎が夜に飲んで失火」はこれによる。他は昭帝紀による。
- ^ a b c d 『漢書』巻7、昭帝紀第7、元鳳4年5月。ちくま学芸文庫版『漢書』1、227頁。