江文遙
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江 文遙(こう ぶんよう、474年 - 528年)は、北魏の軍人・政治家。本貫は済陽郡考城県。
経歴
[編集]江悦之の子として生まれた。夏侯道遷が楊霊珍を攻撃したとき、文遙は従軍して手ずから楊霊珍を斬った。505年(正始2年)、歩兵校尉に任じられた。父が死去すると、官を退いて喪に服した。508年(永平元年)、安平県子の封を嗣ぎ、前軍の位を受けた。咸陽郡太守として出向した。反乱者や不正を働く官吏を粛清して、その統治は雍州諸郡で最上と評価された。召還されて驍騎将軍・輔国将軍の位を受け、征虜将軍に進んだ。孝明帝の初年、平原郡太守に任じられた。平原郡を統治すること6年、統治の手法は咸陽郡のときと変わらなかった。
後将軍・安州刺史となった。杜洛周・葛栄らが反乱を起こすと、河北の州県は次々と陥落したが、文遙は屈服せず孤立した州城を守った。528年(建義元年)7月、病のため安州で死去した。享年は55。