江村北海
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江村 北海(えむら ほっかい、正徳3年10月8日(1713年11月25日) - 天明8年2月2日(1788年3月9日))は、江戸時代中期の儒者、漢詩人。名は綬。字は君錫、通称は伝左衛門、北海と号す。福井藩の儒者・伊藤竜洲の第二子。兄は伊藤錦里、弟は清田儋叟。
生涯
[編集]明石藩士であり母の兄にあたる河村家で生まれ、そこで養育された。はじめ学問には無関心だったが、北海の俳諧を見た梁田蛻巖に激励され勉学に専念。父の友人である丹後宮津藩の儒者・江村毅庵の養子となる。藩主・青山幸道は北海に吏才があることに気づき次第に重用する。宝暦8年(1758年)、美濃郡上藩に移封の際、病を理由に辞任を願ったが許されず郡上に同行する。宝暦13年(1763年)に許されて京都に帰ったが、その後も時々郡上に行き教授し、または藩の諮問に応じた。安永4年(1775年)に幸道が隠居したのを機会に致仕し、京都の室町に対梢館を建て隠居する。天明8年(1788年)2月2日死す。享年76。本圀寺に葬られる。道明寺天満宮に北海が撰した道明寺碑が現存する。
著書
[編集]- 『日本詩史』5巻
- 『日本詩選』15巻
- 『授業編』10巻
- 『北海詩鈔』8巻
- 『北海文鈔』3巻