池ノ上賢吉
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池ノ上 賢吉 | |
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生誕 |
1887年6月16日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1975年7月22日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
池ノ上 賢吉(いけのうえ けんきち、1887年(明治20年)6月16日[1] - 1975年(昭和50年)7月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1935年(昭和10年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に関東軍司令部附となり[2]、旅順工科大学に配属され[2]、1936年(昭和11年)8月に第1独立守備隊司令部附に転じたが[2]、旅順工科大学配属が続いた[2]。1937年(昭和12年)8月2日に関東軍司令部附となり[2]、12月28日に福岡連隊区司令官に就任した[2]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将進級と同時に留守第4師団司令部附となり[1][2]、1940年(昭和15年)8月に独立混成第9旅団長に就任[1]。第二次長沙作戦に出動し[3]、第6師団の反転収容のため[3]、影珠山の奪取を歩兵2個中隊からなる山崎集成大隊に命じ[4]、影珠山の山頂を占領したが[4]、敵大軍に包囲され[4][5]、1942年(昭和19年)1月9日に山崎集成大隊は玉砕した[5]。同年12月1日に待命[1]、12月28日に予備役に編入された[1]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。