池河連
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池河連 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 지하련 |
漢字: | 池河連 |
発音: | チ・ハリョン |
池 河連(チ・ハリョン、1912年 - 1960年)は、日本統治時代の朝鮮・連合軍軍政期の南朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の女性小説家。本名は李 現郁。朝鮮文学家同盟常任委員などとして活動し、第1回朝鮮文学賞受賞。
生涯
[編集]日本統治時代の朝鮮の慶尚南道居昌郡の裕福な家に生まれ、当時の女性としては珍しく日本に留学し、旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業した[1]。日本の降伏後、朝鮮文学家同盟常任委員などとして活動し、1946年7月の機関紙『文学』創刊号で発表した作品「道程」により第1回朝鮮文学賞を受賞した。1947年に北朝鮮に移るが、朴憲永派が失脚したのち、夫の林和が処刑されたのを知り、発狂して死去したとされる[2]。
脚注
[編集]- ^ 《경남도민일보》 (2005.5.21) 마산창원 역사읽기/ 공기 좋은 마산의 표본, 결핵병원(하)
- ^ 《조선일보》 (2001.9.5) 월북작가 임화(林和)의 기구한 운명