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池田十三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池田 十三郎(いけだ じゅうざぶろう、1870年8月29日〈明治3年8月3日[1] - 1947年12月21日)は明治から大正にかけての逓信官僚朝鮮総督府逓信局長官を務めた。

経歴

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1870年8月29日、肥前国佐賀で、長崎県士族・池田陽雲の四男として生まれ、叔父・玄泰(1836年9月生[1])の養子となる[1]。1892年、東京帝国大学法科大学独法学科を卒業し、法学士を取得[1]。官吏になり、同年7月、東京郵便電信学校教授に就任[2]。同年11月の茨城県出張[3]、1895年の京都府出張[4]などを経て、1906年1月10日より統監府通信管理局[5]、1910年に朝鮮総督府通信局長官、のち改称に伴い逓信局長官[1]。1917年6月6日まで逓信局長官を務めて[6]退官し、日本染料会社取締役社長に就任、1919年に退任[7]。1918年には家督を相続した[7]

1917年には正四位勲二等に叙勲されている。[8]

家族

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  • 妻 - 岡本登幾(東京府下谷区長〈本郷区長兼任〉を勤めた岡本益道の長女)
    • 嫡男 - 池田秀夫
    • 次男 - 池田康男(夭折)
    • 三男 - 池田勝三
    • 四男 - 池田四郎(夭折)
    • 五男 - 池田五郎
    • 六男 - 池田六郎(1942年に第二次世界大戦下出兵し中国扶綏県で戦死)
    • 長女 - 池田花子

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い124、人事興信録第4版池田十三郎
  2. ^ 『官報』第2719号「叙任及辞令」1892年7月21日。
  3. ^ 『官報』第2813号「叙任及辞令」1892年11月11日。
  4. ^ 『官報』第3567号「叙任及辞令」1895年5月23日。
  5. ^ 『官報』第6757号「叙任及辞令」1895年5月23日。
  6. ^ 『官報』第1454号「叙任及辞令」1917年6月7日。
  7. ^ a b 『人事興信録 第8版』イ104、人事興信録第8版池田十三郎
  8. ^ 元朝鮮総督府度支部長官荒井賢太郎外四名特旨叙位ノ件○元特命全権公使荒川巳次外一名、海軍水路大監大後五郎”. www.digital.archives.go.jp. 2023年6月12日閲覧。