朽木綱博
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(池田博久から転送)
朽木綱博 くつき つなひろ | |
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生年月日 | 1905年11月13日 |
没年月日 | 1963年6月13日(57歳没) |
出身校 |
東京帝国大学文学部卒業 (現東京大学文学部) |
前職 | 参謀本部嘱託 |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 | 朽木道子 |
親族 |
祖父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員) 父・池田仲博(貴族院議員) 養父・朽木綱貞(貴族院議員) 伯父・徳川厚(貴族院議員) 伯父・蜂須賀正韶(貴族院副議長) 伯父・徳川達孝(貴族院議員) 叔父・徳川慶久(貴族院議員) 叔父・徳川誠(貴族院議員) 叔父・徳川圀順(貴族院議長) 叔父・大河内輝耕(貴族院議員) 叔父・四条隆愛(貴族院議員) 従兄・徳川喜翰(貴族院議員) 従兄・大木喜福(貴族院議員) 従兄・蜂須賀正氏(貴族院議員) 従弟・徳川慶光(貴族院議員) 従弟・四条隆徳(貴族院議員) |
在任期間 | 1946年8月22日 - 1947年5月2日 |
朽木 綱博(くつき つなひろ、1905年(明治38年)11月13日[1] - 1963年(昭和38年)6月13日[1][2])は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・池田、旧名・博久[1]。
経歴
[編集]陸軍将校・池田仲博の三男として生まれ、陸軍少将・朽木綱貞の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1930年4月1日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
1931年、東京帝国大学文学部を卒業[2][3]。松竹興業社長秘書、東京宝塚劇場嘱託、参謀本部嘱託などを務めた[2]。
1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5]、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]- 父:池田仲博(因州池田家14代当主、侯爵、陸軍将校)
- 兄:池田徳真(因州池田家15代当主)
- 徳真の妻・美知子は朽木綱貞の娘。
- 養父:朽木綱貞(福知山朽木家15代当主、子爵、陸軍少将)
- 妻:道子(勝精長女)[1]
- 勝精は池田仲博の同母弟。
- 長男:彰[1]
系図
[編集]池田輝知 | 徳川慶喜 | 新村信 | 勝海舟 | ||||||||||||||||||||||||||||
池田仲博 | 朽木綱貞 | 勝精 | |||||||||||||||||||||||||||||
池田徳真 | 美知子 | 朽木綱博 | 道子 | ||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 朽木綱貞 |
子爵 (福知山)朽木家第2代 1930年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |