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大木喜福

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大木喜福
おおき のぶとみ
生年月日 1898年4月16日
没年月日 (1972-11-20) 1972年11月20日(74歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部卒業
(現東京大学経済学部)
前職 東京高等工科学校校長
(現日本工業大学駒場中学校・高等学校)
現職 日本工業大学理事長
所属政党 研究会
配偶者 大木伸子
大木美穂子
親族 祖父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員)
父・徳川厚(貴族院議員)
兄・徳川喜翰(貴族院議員)
義兄・杉溪由言(貴族院議員)
従弟・蜂須賀正氏(貴族院議員)
従弟・四条隆徳(貴族院議員)
従弟・徳川慶光(貴族院議員)
従弟・朽木綱博(貴族院議員)

在任期間 1940年11月30日 - 1947年5月2日
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大木 喜福(おおき のぶとみ、1898年明治31年)4月16日[1] - 1972年昭和47年)11月20日[1][2])は、日本教育者政治家貴族院伯爵議員。旧姓・徳川[1]

経歴

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男爵徳川厚の二男として生まれ、伯爵大木遠吉の養子となる[1][3]1924年(大正13年)東京帝国大学経済学部を卒業[2][4]。養父の死去に伴い、1926年(大正15年)6月15日に伯爵を襲爵した[1][5]

大学卒業後、三井銀行に入行[2][3]1929年(昭和4年)東工学園理事長に就任し、1931年(昭和6年)東京工業学校を設立し校長となり、校名変更後の東京高等工科学校の校長も務めた[2][3][2][4]1967年(昭和42年)日本工業大学を設立し理事長に就任[3]

1940年(昭和15年)11月30日、補欠選挙で貴族院伯爵議員に選出され[6]研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は青山霊園

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』271頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』24頁。
  3. ^ a b c d e 『日本人名大辞典』335頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』オ82頁。
  5. ^ 『官報』第4143号、大正15年6月16日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録第 14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。

関連項目

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日本の爵位
先代
大木遠吉
伯爵
大木(喬任)家第3代
1926年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)